2015/10/30

芭蕉と柳「田一枚植て立去る柳かな」

田植えをしているのは、もちろん早乙女である。
この句をはじめて読んだとき、私はそう感じた。
そして立ち去ったのも早乙女なのだ。

この句の「柳」には2重のイメージがあると思った。
ひとつは女性である早乙女。
もうひとつは、芭蕉がその木陰で憩った畔道の柳の木。

芭蕉の句に「梅柳さぞ若衆かな女かな」というのがある。
この句から察するに、芭蕉にとって「柳」は女性のイメージなのである。
それも、ちょっと艶かしい女性のイメージ。

田一枚植て立去る柳かな
松尾芭蕉

今年のドウダンツツジの紅葉は色が冴えない

今年、ドウダンツツジの紅葉が冴えない。
毎年、公園の生垣になっているドウダンツツジの真紅の紅葉を、散歩の楽しみにしていたのだ。
それが、今年の紅葉は黒っぽい赤。
鮮やかさに欠ける。

この夏に枯れかかったせいなのだろうか。
それはある程度復活したのだったが、完ぺきではなかったのだろう。
あの燃えるような紅葉を、今年は楽しめそうにない。

2015/10/29

まだ傍観者であった芭蕉「春や来し年や行きけん小晦日」

もう少しで10月も終わる。
11月に入ると年の暮れも間近。
のどかな秋の日も終わり、せわしない年末に入る。
津軽地方は、そろそろ雪の季節を迎える。

春や来(こ)し年や行きけん小晦日(こつごもり)
松尾芭蕉

芭蕉19歳のときの作として有名な句である。
制作年代が分かっているものの中で、芭蕉最古の作と言われている。

ところが私には、この句に19歳という若いエネルギーが感じられない。
この句の、落ち着きがあってちょっと皮肉っぽいところが、妙に年よりくさいと感じている。

2015/10/28

芭蕉の誘導「山路来て何やらゆかし菫草」

春から初夏にかけて、低山の山道を散歩しているとスミレに出会うことがある。

山野で出会う花としてスミレは、そんなにめずらしい植物ではない。
ハイキングでよく見かける小さな花。
小さい花だが、その紫色の美しさはすばらしい。

山路(やまじ)来て何やらゆかし菫草(すみれぐさ)
松尾芭蕉
菫草。

2015/10/27

芭蕉の視線「道の辺の木槿は馬に喰はれけり」

木槿(ムクゲ)はアオイ科の落葉低木。
大きいもので3メートル近くまで成長する。

木槿の花は、朝咲いて夕方にはしぼむ。
だが、一本の木で次から次へと花を咲かせるので、木としての花期は長い。
梅雨の頃から秋まで、木槿は花を咲かせているという。

道の辺(みちのべ)の木槿(むくげ)は馬に喰(く)はれけり
松尾芭蕉

2015/10/26

農民たちの祈願「あの雲は稲妻を待たより哉」

私が子どもの頃、津軽半島の村では、雷の閃光のことを「イナビカリ」と呼んでいた。

「あっ、イナビカリが光った!」と叫んで耳をふさぎ、身を縮こませる。
すぐに「ドドドーン」という音が響き渡る。
「あっ、落ちた、近い近い!」と騒ぐ。
子ども達にとって、雷鳴の恐怖は、まだ遊びの範疇だった。

その頃は「稲妻」が標準語で、「イナビカリ」は津軽の方言だと思っていた。
が、「イナビカリ」は「稲光」と漢字表記される立派な標準語。

2015/10/25

芭蕉の自負「色付くや豆腐に落ちて薄紅葉」

「紅葉豆腐」と聞くと、秋に京都の料亭などで出されるシャレた一品のような印象だが、実際は、「豆腐小僧」という妖怪がお盆で持ち歩いている豆腐の事。

「豆腐小僧」とはあまり知られていない妖怪。
でも、江戸時代の草双紙(※江戸時代の娯楽本)などに多く登場している妖怪とのこと。

竹の笠をかぶって丸盆を持ち、その盆の上に「紅葉豆腐(モミジの型を押した豆腐)」を乗せて歩く小僧妖怪。
特に悪さはしないという。

色付くや豆腐に落ちて薄紅葉
松尾芭蕉

2015/10/24

芭蕉の無常「やがて死ぬけしきは見えず蝉の声」

芭蕉にはふたつの風景が見えている。
無数の蝉が嵐のように鳴き盛る風景と、音も無く静まり返った風景。
喧騒と静寂のふたつの風景を対比させ、そのなかで、夏の一日を鳴き暮らす命の営みを浮かび上がらせようとしている。

地上に出た蝉が、成虫として生きている期間は、現代では2週間~3週間だといわれている。
私が子どもの頃は、蝉の地上での寿命は1週間だといわれていた。
芭蕉の時代は、その寿命が、もっと儚いものだとされていたかもしれない。

芭蕉のミニマムライフ宣言「ものひとつ我が世は軽き瓢哉」

上五が数え歌の出だしのようで調子が良い。
勢いが感じられる。
芭蕉が発する宣言のようなものか?

ものひとつ我が世は軽(かろ)き瓢(ひさご)
松尾芭蕉

「ものひとつ」は持ち物は一つというイメージ。
「我が世」とは、芭蕉自身の人生(旅)のことと思われる。
「瓢」とは、容器としての瓢箪。

雨上がりの朝、公園のカツラの落葉が甘く匂っている

カツラの落葉
カツラの落葉の絨毯。
犬の散歩に、いつもの公園に立ち寄ったら、カツラの落葉の匂いが地面からたちこめていた。
カツラの紅葉(黄葉)は終わりかけていて、ほとんどが落葉している。

その落葉の絨毯に足を踏み入れた時、甘い香りがしたのだ。
砂糖醤油がちょっと焦げかかったような香り。
いままで体験した中で、今日がいちばん強く、香りを感じた。

2015/10/23

芭蕉の重複「年々や猿に着せたる猿の面」

ネットでは芭蕉の様々な句に出会う。
だが、そのすべての句が、ほんとうに芭蕉の作であるかどうか、私には調べようもない。

芭蕉作と伝えられている俳諧には、「存疑句」や「誤伝」、「贋作」も少なからずあるという。
信頼できる文献として、今栄蔵氏校注の「芭蕉句集」(新潮日本古典集成)がある。
なんら調べる手立ての無い私としては、この「芭蕉句集」に頼らざるを得ない。

年々(としどし)や猿に着せたる猿の面
松尾芭蕉

2015/10/22

芭蕉の岐路「旅に飽きてけふ幾日やら秋の風」

吉本隆明氏に「言葉からの触手」(河出書房新社)という刺激的な題名の著作がある。
「あとがき」で吉本氏自身が言っているように、この本は、「生命が現在と出合う境界の周辺をめぐって分析をすすめている」断片集でできている。

その「断片集」の60ページ目に「11 考える 読む 現在する」という題の「断片」がある。
以下に、私が気になっている冒頭の文章を引用させていただく。
「知的な資料をとりあつめ、傍におき、読みに読みこむ作業は<考えること>をたすけるだろうか。さかさまに、どんな資料や先立つ思考にもたよらず、素手のまんまで<考えること>の姿勢にはいったばあい<考えること>は貧弱になるのではないか。わたしたちは現在、いつも<考えること>をまえにしてこの岐路にたたずむ。」

芭蕉の旅情「よるべをいつ一葉に虫の旅寝して」

「一葉」にはいろいろなイメージが含まれている。
一枚の写真を一葉の写真と言ったり。
「その部屋の畳の上には、一葉の古い写真が落ちていた」なんてね。

俳諧では、「一葉」とは桐の葉を指すとか。
「一葉(いちよう)落ちて天下の秋を知る」という故事・格言もある。
もっとも青桐の葉が落葉するころは、あたり一面、紅葉が最盛期で、天下は秋真っ盛りなのだ。
この格言が、「大仰な言い方の割には間が抜けている」という意味なら分かるのだが・・・・。

近くの公園にある青桐の葉。

2015/10/21

芭蕉と白秋「石山の石より白し秋の風」

石山の石より白し秋の風
松尾芭蕉

私がこの句を読んで真っ先に思い浮かんだのは、北原白秋のこと。
「白し秋」で白秋となり、北原白秋を連想してしまったのだ。

これは芭蕉の誘導によるものか。
おっと、芭蕉は、明治の詩人北原白秋のことを知るはずもない。
 
芭蕉が誘導しようとしたのは、「五行思想(五行説)」の白に由来する「白秋」
五行思想では秋の色は白であるという。

2015/10/20

「野ざらしを心に」から持続する旅「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」

「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に おもひて旅立ければ、」
と、句の前書きにある。

「野ざらしを心に風のしむ身哉」という思いは、旅(野ざらし紀行)の間中ずっと芭蕉の心の中にあったのだろう。
ポジティブな思いで旅を続ける芭蕉だが、不慮の死というのも念頭にあったに違いない。
そして親しい友人「谷木因(ぼくいん)」の住む大垣までたどり着いた。

2015/10/19

芭蕉が見る天空と地上絵「名月や座に美しき顔もなし」

名月や座に美しき顔もなし
松尾芭蕉

これは、ロングショットとクローズアップの「芭蕉視点」の典型的な句のひとつではあるまいかと、私が感じた句である。

天空に名月、地上に「名月観賞会」の人々とその顔つき。
この句を読む読者の視線は、芭蕉に誘導されて名月を眺め、そして一座の人々の顔の上に落ちる。
そこには戯画的なユーモアがある。
と同時に、美と醜という世間的な価値基準のことに思い至る。

2015/10/18

坂梨峠の紅葉と大舘のきりたんぽ鍋

快晴の今日は、坂梨峠へ紅葉見物。

坂梨峠とは、青森県平川市と秋田県鹿角郡小坂町の県境にある国道282号線の峠、
国道7号線を大館方向に走り、碇ヶ関で鹿角方面という道路標識に従って、左手側道に入る。
古遠部温泉への分岐を過ぎると、国道282号線は山道に入る。
その山道の区間が、紅葉の隠れた名所となっている。

八甲田山や十和田湖の紅葉も良いが、坂梨峠の紅葉も格別な趣がある。

2015/10/17

芭蕉のカメラワーク「炉開きや左官老い行く鬢の霜」

元禄五年、芭蕉49歳の作とされている。
芭蕉は、元禄七年の冬に51歳で亡くなっているから、他界する2年前の句。

「炉開き」とは、一般では、冬を迎える準備として囲炉裏の蓋を開けること。
茶の湯では、10月の終わりから11月の初めにかけて、茶事の風炉に変わって炉を開いて用いることだという。

私が生まれた津軽半島の村の家にも囲炉裏があった。
ただ私が子どもの頃、暖房には薪ストーブや石炭ストーブを使っていたので、囲炉裏の蓋はほとんど閉じられたままだった。

八甲田山の紅葉と,森のなかの滝

おとといの晩に降った雪が山陰に白く残っている今日の八甲田。
紅葉と滝見ハイキングに出かけた。

国土地理院発行の北八甲田の地形図を見ると滝のマークは3箇所程度しか見当たらない。
北八甲田には地図には記されていない滝がたくさんあるようだ。

今日訪れた滝もそのひとつ。
道路から森の中へ入って20分~30分程度なのだが、あまり知られていない。
もちろん、滝に到る遊歩道も無い。
下草やネマガリタケの無いブナの森を、コンパスを頼りに沢に向かって歩くと、滝の水音が聞こえてくる。

2015/10/15

「枯枝に烏のとまりたるや秋の暮」から「かれ朶に烏のとまりけり秋の暮」への改作

今回も気になる「改作」を見つけたので、これについて書いてみたい。

枯枝に烏(からす)のとまりたるや秋の暮
松尾芭蕉

掲句が、初案。
それを改作したのが、次の句。

かれ朶(えだ)に烏のとまりけり秋の暮
松尾芭蕉

例によって、私的にどちらが好きかと問われれば、もちろん初案の方。
初案の方が、時間の流れやカラスの動きが感じられて好きなのだ。
それに、空間の広がりも感じられる。

2015/10/13

「清滝や波に塵なき夏の月」から「清滝や波に散りこむ青松葉」への改作

前回、松尾芭蕉の辞世の句についてちょっと書いた。
辞世の句とは、死に面した俳諧師が、この世に別れを告げるためにつくる句のこと。
芭蕉の場合は、「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」が辞世の句として世に知られている。

しかし、芭蕉が書いたと言われているこの句の前書きは「病中吟」となっている。
この句を芭蕉が辞世の句として意識して作ったのなら、「辞世」という前書きがつくのではという疑問が残る。

この句は亡くなる4日前の作とされている。
その後、亡くなる2日前に、長兄や門人宛てに遺書を書いている。
長兄への遺書は自筆だったという。
芭蕉は、病状が日増しに悪化するなかで、自身の病死のことが念頭にあったのだろう。

肉体は衰弱していても意識がはっきりしていたのだから、辞世の句を遺そうというのであれば、前書きを「辞世」とするはずである。
芭蕉は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」を辞世とは意識して無かったのではあるまいか。

2015/10/11

紅葉がピークの山で、ナラタケは終了、ムキタケや本格ナメコはこれからが最盛期か?

紅葉の森
八甲田山の紅葉は、山麓一帯がピーク。
山の中腹付近は、落葉が始まっているから、そろそろ八甲田大岳の初冠雪がありそうなこの頃。

この日曜日も八甲田山の山麓でキノコ採り。
紅葉の森の中へ入る。
昼過ぎから、山は雨降り。
雨に濡れた紅葉がきれいだった。

帰り道の城ヶ倉大橋は、雨にも関わらずたくさんの人出。
橋の上で背中を濡らしながら、城ヶ倉渓谷の紅葉を見下ろしていた観光客たち。

2015/10/10

芭蕉の憧憬「此道や行く人なしに秋の暮」

病床にて「秋深き隣は何をする人ぞ」と自身の幻に語りかけた芭蕉だった。
それでもまだ旅(俳諧)をイメージして道を探し続ける。
この「秋深き・・・」の3日前に作った「此道や行く人なしに秋の暮」の「此道」のことを、芭蕉は考え続けていたのかもしれない。

此道(このみち)や行く人なしに秋の暮
松尾芭蕉

これは芭蕉の憧憬の句であると私は思う。
もう此の道を歩いて行けないかもしれないという、芭蕉自身の無念な思い。
此の道を行く人は誰もいないという落胆。
だが、歩き続けたいという芭蕉の憧憬が、無念や落胆を心の外へ追い出す。

そして芭蕉は、亡くなるまで俳諧(旅)の道を憧憬し続けた。
「此道」は自身の俳諧(旅)の道の延長であり、まだ歩いたことのない旅(俳諧)の道なのかもしれない。

2015/10/09

キノコ採りは、山岳遭難や食中毒を伴う危険な遊び

今年の青森市周辺の山では、ナラタケが大豊作。
そのおかげで、キノコ採りの入山者が増大しているという。

平日でも、八甲田山周辺の山岳道路には、キノコ採り達の路上駐車が多く、交通の妨げになっている程だと、知り合いのトラック運転手が言っていた。

「道路脇の空き地に駐車してくれればいいものを、面倒くさいから路上駐車しているんだ。」と憤懣顔。

10月に入って、キノコ採りはピークを迎えている。
路上駐車もピークらしい。

それに伴って、山岳遭難事故も増えているようである。

2015/10/07

芭蕉の静止画「菊の香や奈良には古き仏達」

芭蕉の句は、映像的なものが多いと感じている。
舞台の一場面のような句や、映画のワンシーンのような句。
それが、私が芭蕉を劇の詩人と感じた所以のひとつとなっている。

特に旅の始めの句には、人物(主人公)が登場して、ダイナミックな動きのある句が多いような。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」とか「旅人と 我名よばれん初しぐれ」とか。
そうそう、旅の始めの句ではないが「塚も動け我泣声は秋の風」なんかも激しくダイナミックであると思う。

これらの句は、主人公の劇的な登場がイメージされている。

そんな句と比べて、以下の句はどうであろう。

2015/10/04

枯れた後復活したドウダンツツジの生垣が、赤く色づき出した

ドウダンツツジ
公園の生垣になっているドウダンツツジが紅葉し始めている。

夏の盛りに雨不足が続いて枯れかけたドウダンツツジが、秋の初めに復活
そのときの新芽が葉に成長して、今は紅葉を準備中。

今年も、炎のような紅葉を見ることができるだろうか。
一旦枯れかけて葉を落としたので、ボリュームの無さが、ちょっと気になるところ。

新緑を楽しみ、白く可愛い花を楽しみ、紅葉も楽しめるドウダンツツジ。

今年は、ここのドウダンツツジの花の数が少なくて、ちょっと寂しい春だったが、この秋はどうなるのか。

川原のヤナギの木でヌメリスギタケモドキ採り

ヌメリスギタケモドキ
今年も恒例のヌメリスギタケモドキ採りのために金木(かなぎ)の山へ。
キノコの収穫はまあまあだった。

今年の特徴は、かなり大き目のものでも、腐ってないものが多かったこと。
例年だと、下の写真のような大きさ(傘の直径が8センチぐらい)のものは、ヒダが黒く腐りかけていることが多かったのだが、今年は保存状態が良く、長持ちしている様子。

そのため、割ときれいなヌメリスギタケモドキをたくさん採ることが出来た。

この川原は、一昨年、下流の堰堤が決壊したため、泥土状の川原の面積が減り、立木が流失したりしてヤナギの個体数も減少している。
その結果キノコの収穫量も減少しがち。

樹齢800年、驚異のヒバ(ヒノキアスナロ)の巨木、喜良市の「十二本ヤス」

十二本ヤスの看板。
青森県五所川原市金木町喜良市字相野山にヒバ(ヒノキアスナロ)の巨木がある。
この巨木の名は「十二本ヤス」。

ヒバとは、ヒノキアスナロの青森県での呼び名。
青森県内で産出されるヒノキアスナロの木材は青森ヒバと呼ばれている。
青森ヒバは、木曽ヒノキ、秋田スギと共に、日本三大美林とされている。

「十二本ヤス」という名称の由来は、巨木手前の看板に、下記のように書かれている。
幹の途中で12本の枝が分かれて、ちょうど魚を突いて取るヤスの形をしているところから、だれ言うとなく「十二本ヤス(シ)」と呼ばれるようになった。

2015/10/02

病床で漠然とした予感に語りかける芭蕉「秋深き隣は何をする人ぞ」

勤め人だったころ、風邪をひいてアパートの部屋で寝込んだことがあった。
そのアパートは、隣の部屋とは階段が別だったので、隣人と顔を合わせることが無いような造りになっていた。

仕事を休んで、日中病床についていると、隣からカタカタと音が聞こえた。
隣の部屋の住人が、中年の女性であるということは知っていた。
てっきりどこかに勤めている人と思っていたので、昼日中の物音に不思議な思いがした。

風邪のせいで神経が過敏になっていたからなのだろう、日中に聞きなれない物音が、ひどく気になった思い出がある。

風邪薬のせいでウトウト眠っているときに、その物音が夢の中に舞い込んだり。
高熱の影響による幻覚かと思ったり。

2015/10/01

作者不明の自由律俳句だと思っていた「日暮れて道遠し」

日暮れて道遠し

私は、この句から感じられる豊富なイメージが好きだった。
こんなに短い言葉なのに、様々な情景が思い浮かんで、空想が広がる。

その道は学校帰りの小学生の下校の道か、戦争から故郷の家へ帰る兵士の道か、サラリーマンの帰宅の道か、漂泊者の帰るあてのない彷徨い道か・・・・・・・。

いずれにしてもそのイメージは、どこかへ帰る人の姿と、日が暮れていく情景だった。

帰る人の心中は、待っている人のために早く帰らなければならないという思いだったり、早く家の者に会いたいという希望だったり、朗報を持ち帰ることが出来ない悲嘆な思いだったり、行くあてのない心を持ち歩く絶望だったり・・・・・・。

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