◆百人一首物語

小倉百人一首の歌で、私流「語呂合わせ」歌を作り、それを元に物語を作るという試みをしています。

平成29年の暮から平成30年の正月にかけて、仕事の合間にこの遊びを楽しみ過ぎて、まだ年賀状も書いていない体たらく(平成30年1月3日現在)。
下に並べたリンクの先の作文(1~6)は、この時の私の言葉遊びの産物です。

私がこんな遊びを思いつくヒントになったのは、「日本の叙景歌は偽装された恋歌である。」と述べた大岡信氏の言葉。
それが、古の歌人たちの歌の言葉を、同音異義の語に差し替え、それで出来た「偽歌」を元に、物語を組み立てるという作業に私を走らせたのです。
ちょっと変な動機ですが。

偽装された恋歌(かもしれない)叙景歌(抒情歌も)を、さらに偽装し、ヘンテコになった「歌」を文字通りなぞって物語を作る。
すると、自分でも思いがけないほどの不思議な世界が幻出するのです。

これはもうドラッグみたいなものかも、と言っても私には経験ありませんが。
言葉には、薬物としての働きがあるのかもしれません。

言葉で見せる映像。
というまねごとにもちょっと気を使いはじめ。
短歌自体が映像的なので、私の物語も、それなりのリアリティが無ければ面白くない。
という風に考えています。

短歌には「本歌取り」という技巧があります。
過去の有名な短歌や漢詩の、語句や趣などを踏まえて自作に取り入れるという方法です。
これは、オリジナルへの敬意を伴ったパロディ。

私のおふざけパロディは、語呂合わせの「偽歌」づくりまでです。
それを元に作った物語は、完全に私のオリジナル。
パロディでは無く、純な代物。
こんなものでも、私にとってはゼロからでは作り出せない「話」です。
こんな遊びの方法で、不思議な雰囲気を持った物語が出来上がるから、面白い。

おそらく、百人の歌から百種の物語を作ることができるでしょう。
それらは、こじつけと私の空想世界の言葉で出来ていますから、文章の脈絡は現実から遠く離れたものです。
そんな文章で出来たブログ記事は、ひょっとしたら検索エンジンからスパム扱いされるかもしれません。

機械が幻想を楽しむなんてことは無いでしょうから。
機械が、幻想を情報と認めることも無いでしょう。
でも、長い歴史を持つ言葉は、幻想を楽しむことができるし、幻想から情報を得ることも出来るのです。
そうやって言葉は、言葉で作られた世界を広げてきた。
コンピューターには真似の出来ない世界です。

それは、ともかく。
言葉が言葉を産み、それが物語を産む。
言葉が言葉を呼んで文章を作る。
言葉は、長い時代を、人とともに暮らしてきた生き物です。
私の物語の生成を、そんな言葉の証にしたいと思っています。

小倉百人一首は、歌人藤原定家が京都にある小倉山の山荘で撰んだとされる短歌の撰集。
「歌がるた」としても、広く日本人に親しまれています。
小倉百人一首には決まった順番がありますが、下のリンクの順番は、私の気まぐれ順。
興味がお有りの方は、リンクを辿って各ページへお進み下さい。
粗雑な作りですが、これらの読物を楽しんで頂ければ幸いです。

(08)これやこのゆくもかえるもわかれてはしるもしらぬもあふさかのせき

(07)あしびきのやまどりのおのしだりおのながながしよをひとりかもねむ

(06)あきのたのかりほのいほのとまをあらみわがころもではつゆにぬれつつ

(05)ひとはいさこころもしらずふるさとははなぞむかしのかににほひける

(04)ちはやぶるかみよもきかずたつたがはからくれなゐにみづくくるとは 

(03)はなのいろはうつりにけりないたづらにわがみよにふるながめせしまに

(02)おくやまにもみぢふみわけなくしかのこゑきくときぞあきはかなしき

(01)あまのはらふりさけみればかすがなるみかさのやまにいでしつきかも

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