雑談散歩

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古風な女性の鼻血(淑女の営み)

古風な景色がよく似合う
私は古風な女です。
鼻穴をほじっているうちに、鼻血が出てしまうことがたまにある。
通常、目をこすったり、痒い耳の穴を指で掻いたりしても血が流れ出ることは無いのに、なぜ鼻からだけ出血があるのだろう。
それは、鼻穴に関しては、鼻をほじるという通常の行為の範囲を逸脱してしまう事が多いからだ。
鼻の穴のちょっと奥に、左右の鼻穴を隔てている「鼻中隔」という壁がある。
この鼻中隔の粘膜の、鼻の入り口に近い部分には、細い血管がいっぱい集まっている。

これは、見ようと思えば肉眼でも確認できる。
常軌を逸した「鼻ほじ」を行った場合、この赤く細い血管が傷つき、血液が噴き出してしまう。
私の知り合いに「古風な女である」が評判の女性がいる。
彼女は「古風な女」であることの特質を色々と備えているらしい。
私が驚いたのは、その和風色が濃い物静かな女性は、オナラもしなければ鼻くそもほじくらないという事だ。

少年の頃、吉永小百合さんはウンチをしないのだと信じていた私だが、このことは信じ難い。
この世に、オナラも鼻くそも出ない人なんて存在しない。
生理現象のことはよく解らないが、「生きていることは糞の積み重ねである」と言った戯作者がいらっしゃったような・・・・。

その「古風な女性」がある会合の席で鼻を押さえていた。
会場の隅に置かれたソファーに浅く腰掛けて、ティッシュで鼻を押さえている。
「どうされたのか」と尋ねると、「のぼせたのかしら、血が垂れてしまったの」というお返事。
そういえば「はな垂れ小僧」と言うからなぁ、鼻血も垂れると言えば、なんとなく古めかしい。
私は、彼女が鼻くそをほじくっている現場を見た事はないが、彼女が自分の細い鼻穴に指を入れているのは見た事がある。

名探偵の金田一耕助さんは熟考しているとき頭を掻く癖がある。
太宰治は、頬杖をつく。
人には、それぞれ無意識のうちにやってしまう、癖になっている動作がある。

古風なおねえさんは、熟考しているときに、白い指が上品な鼻穴に伸びる。
しばらく見ていると、その女性の頭部が鶏のように上下左右に微振動し出す。
自身の内部のアイデアに外部から得られた情報を関係付けようと、目まぐるしく頭脳が回転しているのだ。

目も、鶏のように丸く見開かれる。
ちょっと怖い。

でも、会合に集まったメンバーは、その姿を見るたびに「ああ彼女は熟考しているな、一途だな、芯が強そうで古風だな」と感心する。
観客は、古風という空気に触れてカタルシスを得、次に起こる事態への予定調和で、またカタルシスを得る。

背筋をビシッと伸ばしたまま鼻穴に細い指を入れ、鶏頭的微振動を繰り返すものだから、彼女の鼻中隔の、浮き出た華奢な毛細血管は傷ついてしまう。
こうして私たちは、彼女の鼻穴からの出血を見ることになる。

出血した箇所では、血が止まる頃「かさぶた」が形成される。
このかさぶたが鼻のなかで固くなるに従って、本人の気にもなり出す。
無意識の行いによって発生した鼻穴の「かさぶた」が、鮮明な意識のもとに置かれはじめる。

気になると、今度は意識を集中して鼻穴に指をやる。
「こんな『痛気持ちいい』営みは無いわ」と淑女はつぶやく。
出血と「かさぶた剥ぎ」の繰り返しで、彼女の鼻中隔粘膜は、ますますデリケートになっていく。

彼女は鼻中隔粘膜に意識を集中することで、清楚で慎ましい人柄を保持しているのかも知れない。
「蛮行が聖人の名声を高める」と言った戯作者がいらっしゃったような・・・。

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