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五所川原市「境野沢ため池」に架かっている木橋「野花菖蒲橋」を見物

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ため池に架けられた木橋めぐり。
6月3日の芦野公園「芦野夢の浮橋」見物に引き続き、今日は五所川原市の「境野沢(さかいのさわ)ため池公園」の「野花菖蒲橋(のはなしょうぶばし)」見物。
「奥津軽の七木橋」めぐりの五本目である。

津軽地方は梅雨入りしたとかで、あいにくの曇り空。
そのため、岩木山が見えない。
奥津軽のため池と木橋と岩木山。
この組み合わせを写真に収めたかったのだが、残念だった。




駐車場の奥の原っぱに、一風変わった東屋が建っている。
どことなくノハナショウブを表現したような造り。
ノハナショウブは五所川原市の「市の花」でもある。

境野沢ため池公園には、駐車場がふたつある。
今回クルマをとめたのは、奥の方(東寄り)の駐車場。
こちらの駐車場の方が広くて、「野花菖蒲橋」にも近い。

ちなみに「市の木」はヒバ。
長い間、五所川原市の「市の木」はハルニレだったが、旧金木町と合併してから、ヒバになったのだとか。

ため池が多数点在する五所川原市や旧金木町ではハルニレを多く見かける。
ハルニレはヤナギ同様、湿潤な土地を好んで生育する樹木。

境野沢ため池周辺でも、ハルニレをちょくちょく見かけた。
ハルニレの高木は、美しいため池の景観に欠かせない木となっている。




境野沢ため池の周囲はリンゴ畑が多い。
時期的に、農薬散布が盛んに行われている。
薬剤散布車を見かけたが、農薬の酷い匂いはしなかった。
この頃の農薬は、無臭なのかもしれない。
無臭な農薬は、ちょっと恐いような気もするが・・・




駐車場に、公園のイラストマップの看板が建っている。 看板の左上に、「境野沢ため池」についての説明書きがある。 以下の赤文字部分は看板の説明書きを引き写したものである。
 「境野沢ため池」は、いまから350年前の藩政時代に築造された農業用ため池群のひとつです。また、市東部丘陵地帯は「21世紀五所川原市総合開発計画」のなかで「市民の憩いの場」と位置づけられています。
 「境野沢ため池」は、堤体から岩木山や市街を一望でき、四季折々の豊かな自然に囲まれた風光明媚な場所として親しまれています。
 そしてさらに多くのひとに訪れていただけるように、自然環境を保護しながら「境野沢ため池」をより水辺にふれあえる親水公園として整備しました。

■ため池概要
貯水量:57万立方メートル 
かんがい面積:135ha 
堤体:高さ10m…

破風口に日影や弱る夕涼み

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破風口(はふぐち)に日影や弱る夕涼み
松尾芭蕉

なんともしびれる情景描写。
軒下でもなければ蔀戸(しとみど)でもない。
濡縁(ぬれえん)でもない。
破風口なのである。

この句を読むと、お寺の入母屋屋根の破風に夕日の陰る光景が思い浮かぶ。
寺の屋根の上には、夕暮れの青空。

夕涼みを兼ねた散歩で、お寺のそばを通ったのだろうか。
ふと建物に目をやると、入母屋造りの破風に斜めに差し込んでいた陽光が陰って、破風口の暗がりが、ひんやりと涼しそうである。

と書いても、破風口(はふぐち)というものがわからなければイメージは伝わらない。
破風口を説明する前に、まず破風(はふ)について説明しなければなるまい。

私は、若い頃、日本の古建築に興味を持っていて、「古建築研究会」という学生サークルに入っていたことがある。

なので、古い神社や仏閣の建物の各部の名称について、ちょっと詳しい。
破風のことも、知っている。
だが、「破風口」は初めて聞くような気がする。




破風は、現代では破風板を指していう。
破風板とは、建物の妻側の屋根の端に、屋根の端に沿って山形に付けられた板のことである。

上図イラストで、私が赤く塗った部分が破風板。
風を破ると書くように、軒と妻壁との接合部に雨風が吹き込むのを防ぐための板である。

また、上図の黄色い点線で囲んだ三角部分を、破風板も含めて破風と呼ぶ。
それで、肝心の破風口のことであるが、破風の中でいちばん口っぽいのが上図に示した箇所ではないかと思われる。

もちろん切妻造りにも破風口は存在するのだろうが、入母屋造りの破風口のほうがよりそれっぽいので、上図では、入母屋造りの破風の箇所だけを矢印で示した。

芭蕉が句で詠んだ破風口は、この入母屋造りの破風口ではあるまいか。
こちらのほうが閉じられた空間であり、夕陽が斜めに射し込んでできる陰影に、詩情が生じやすい。

さて掲句は、元禄五年八月、芭蕉四十九歳のときの作。
友人の山口素堂と両吟で、和漢俳諧を試みたときの芭蕉の作とされている。
句の前書きに「納涼の折々言ひ捨てたる和漢、月の前にして満たしむ」とある。

参考までに素堂の作は「煮ㇾ茶蝿避レ烟」。
「茶(ちゃ)を煮(に)れば蝿(はへ)烟(けぶり)を避(さ)く」と読むのだろうか。

それはさておき、芭蕉の句について。
破風口は、壮大な建築物の一部である。
その壮大さにふさわしく、…

公園の「斑入りアオキ」で、去年の赤い実が6月上旬まで残っていた

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公園の「斑入りアオキ(フイリアオキ)」の葉陰に、赤い実がついている。
それに今まで気がつかなかったのは、葉の陰に隠れるようについていたからだ。

去年の実のはずだが、あまりにも鮮やかな赤なので、今年のものかなと思ってしまった。

でも、そんなはずはない。
ここの「斑入りアオキ」の花は、ついこの間終わったばかり。
それがいきなり、こんなに赤くて大きい実になるはずがない。
大きいといっても、全長2センチぐらいなのだが。

公園のサンシュユの花はアオキよりもずっと先に咲いていた。
でも、果実はまだすごく小さくて青い。

サンシュユの実が赤く熟すのは、晩秋から初冬にかけて。
アオキの実が赤く熟すのは、初冬から冬にかけてである。

この赤い実は、去年の冬に熟したものがそのままついているのだ。
小鳥に食われもせず、落ちもせず、腐りもせず、翌年の初夏までよく保つものである。

「斑入りアオキ」は、ミズキ科アオキ属の常緑低木。
アオキの園芸品種である。

青森県にアオキは自生していない。
青森の低山の林床で、よく見かけるのはヒメアオキというアオキの変種。
アオキよりもひとまわり小さいが、雰囲気はほぼアオキである。
ただ、幹は直立せずに根元から横這いし、葉のつく部分で斜めに立ち上がる。

ヒメだから、幹がか弱くて直立できない。
それでも、雪の重圧に抗いながら、懸命に生きているヒメ。

ヒメアオキの赤い実は、晩秋の八甲田の山麓や滝沢の山でよく見かける。

ブナの林床などで、青々とした葉を光らせている。
葉の陰の小さな実も、赤々と輝いている。
その可憐な姿は、冬枯れた光景のなかで、わずかに残された色彩スポットになっている。

こんなふうに、日当たりのよくない木陰でも生き生きしているのは、陰性の植物であるからなのだろう。

春になって、小さな褐色の花が咲く頃まで、ヒメアオキの赤い実がついているのを見かけることがある。
赤い実をつけたまま雪の下で越冬し、花が咲く五月頃まで、実はついたままなのだから不思議な木である。

「斑入りアオキ」はヒメアオキの仲間なので、そういう性質を受け継いでいるのだろう。




「斑入りアオキ」は品種名ではない。
葉に斑模様があるアオキの一般名である。

園芸品種であるから、スターダストとかピクチュラータとかそれっぽい名前の品種がいろいろあるようだ。
平和公園の「斑入りアオキ」がなんという品種なの…

年は人にとらせていつも若夷

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「若夷(わかえびす)」とは、夷神(恵比須神・えびすがみ)の像を刷った札のこと。
「若夷」は、正月の縁起物となっている。

江戸時代の上方でのこと。
元日の早朝に、「若夷売(わかえびすうり)」がこの札を売り歩いたという。
「若夷」を門に貼ったり。
歳徳棚(としとくだな)と言われている「歳徳神(としとくじん)※」をまつる棚に供えたり。
そうして、一年の福を祈ったとのこと。 【※歳徳神とは。陰陽道(おんようどう)で、その年の福徳をつかさどる神。この神のいる方角を恵方(えほう)という】

年は人にとらせていつも若夷 松尾芭蕉

寛文六年、芭蕉二十三歳の作である。
掲句の初案は、「年や人にとられていつも若えびす」であったという。

初案の句は、内藤風虎※(ないとうふうこ)編「夜の錦」に、伊賀上野松尾氏宗房として入集している。
改作された掲句は、広岡宗信※(ひろおかそうしん)編「千宜理記(ちぎりき)」に、伊賀上野宗房として入集。
(※内藤風虎は、江戸時代前期の磐城平藩主。俳諧をよくし、そのために平の俳諧が盛んになった。)
(※広岡宗信は、大阪の人。俳人。)

正月の札に刷られている夷神の顔は、毎年変わることなく若々しい。
それにくらべて、札を買う人は年々歳を重ねて老いてゆく。

夷神は、福の神の代表とされ、商いの神様とされている。
そういう神様として夷神が歳をとらず衰えないのは、人に札を買わせて歳をとらせているせいなのだという滑稽句ともとれる。

句のなかで、年老いていく人間と永遠の存在である神を対比させているのは、「若夷」という民間信仰を皮肉っているようにも思える。

初案の句の「とられて」は、人に年をとられるという、夷神が受身の形となっている。
夷神が人に歳を奪われているという格好だ。

人は「若夷」の札を買うことで、神から歳を奪って新年を迎えているからめでたい。
また、夷神は人から歳を奪われているのでいつまでも若い。
そういうイメージが思い浮かぶ。





改作の句は、「とらせて」と使役の形になっている。
夷神が人に歳をとらせているから、人は年老いていくし、人を老いさせることで夷神はいつまでも若くいられる。
初案の句と改作の句では、句から受け取るイメージがずいぶん違ってくる。

改作の句を読んで思い浮かぶのは「門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」という歌。

一休宗純※(いっきゅうそうじ…

鰺ヶ沢町「はまなす公園」のパーゴラのフジがすごいことになっている

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勝田公園のパーゴラのフジが結実していた。
下の写真のように、豆果※の赤ちゃんが花柄からぶら下がっている。
白い紙くずのようなものは、役割を終えた花弁の残骸。
(※豆果とはマメ科植物に多く見られる果実で、インゲンやエンドウのような形が多い。)

幹が傷んでいるのに加えて、フジの枝(つる)の繁茂がほとんど放任状態だったので、今年はフジの花数が少なかった。

パーゴラのフジの花は、つるの下側(内側)につく。
つるがどんどん伸びて、葉が幾重にも茂ると、つるの下側の日当たりが悪くなって花芽が出なくなる。
なので手入れのされていない藤棚のフジは、花の数が少ない。






フジの根元は、下の写真のようにブロックタイルで覆われている。
こういう造りだと、根が酸欠を起こして樹勢が衰えるのではないかと、私は素人判断している。
ブロックタイルに遮られて、土の中への空気の流入が妨げられているのではないだろうか。




実は、先月の27日に鰺ヶ沢町へ行ったのだが、そのとき、日本海に面した「はまなす公園」で、病害におかされたパーゴラのフジを見かけたのだった。
以下は、その記事である。

5月27日に撮影した、鰺ヶ沢町「はまなす公園」のパーゴラのフジ


偶然見かけた「はまなす公園」の藤棚だったが、幹の損傷具合が勝田公園のフジと似ていた。
「はまなす公園」のフジは、パーゴラの南北にそれぞれ3本ずつ、合計6本植えられてあった。
そのうちの一本は伐採されて、根株だけの状態。

パーゴラの柱とフジの幹にぐるりとトラロープ※が巻かれ、そのトラロープから「立入禁止」の注意書きが下がっている。
パーゴラ利用者の踏圧※(とうあつ)を防ぐための「立入禁止」なのだろうか?
(※トラロープとは、黄色と黒の縞模様のナイロンロープ。)
(※踏圧とは、踏むことで発生する圧力)

踏圧が根に与える影響は、土壌の硬化が考えられる。
土壌の硬化によって、根の伸長が妨げられる。
また土壌中の空隙が減少するために、空気が不足する。
などと思いつくまま。

しかし、ここのパーゴラの下の地面は、地表が舗装されている。
フジの根の周辺も、舗装されている。
舗装されているから踏圧の影響は無いのだろうか。

おそらく薄い舗装だろうから大人数の利用者が進入すれば、踏圧はあるのではないか。
などと、これは私の素人考え。

素人考えついでに、もうひとつ。
土壌は、雨水を受け入れて、それ…

新聞に載った5歳児の文章から私が憶測してしまったこと

愛犬の散歩で、近所の小学校のそばを通ったら、小学2~3年生ぐらいの小柄な男の子から、すれ違いざまに声をかけられた。

「へえ、おとなしそうな犬ですね。」

ずいぶん大人びた口調にびっくり。

愛犬が、すごくでかい(体重45kg)のに、ゆったりと歩いているから、彼はそう感じたのだろう。
もう年だから、ゆったりとしか歩けないのだ。

まだ離れた位置で、彼は私の愛犬を見つけ、「あんなでかい犬に吠えられたら嫌だなあ。」と思ったのかもしれない。

それが、何事もなかった。

ほっとした安堵感が、彼に口を開かせたのだろう。
世慣れた大人のような口ぶりは、彼の安堵の大きさを示しているのか。
などと考えながら家にもどった。

食卓で新聞を広げたら、「5歳児虐待 食事与えず」という社会面の記事の見出しが目に入った。
記事には、5歳児の子どもが大学ノートに書いたという文章も添えられている。

この文章の切なさは、5歳児がこんなにも切々とした文章を描いたということではない。

こういう文章を書けるようになるまで、5歳児が、繰り返し繰り返し執拗に「親のおしえ」を迫られたということではないだろうか。

新聞に掲載された「親にゆるしを請う文章」は、5歳の子どもの文章ではない。
「大人の理屈」を、小さな子どもの脳裏になんどもなんども刻印し続けた未熟な親の作文である。

おそらく保護責任者遺棄致死の容疑者である両親は、子どもらしい行動を一切禁じて、この幼稚な「大人の理屈」だけを、子どもに無理強いしたのだろう。

「こうあるべきだ」という「大人の理屈」を小さな子どもが実現しなかったとき、この容疑者の両親は、子どもに残虐な罰を与えたのではないだろうか。
そして、「ぜんぶじぶんがわるいこだから」という「反省の強要」を、小さい子どもに反復学習させて支配したのではないだろうか。

5歳児がこういう文章を書くようになるまで子どもを「教育」した親の残虐さ。

こういう接し方しかできない若い親の未熟さ。
感情の貧しさ。

その犠牲になった子どもを、どうしたら救えたのだろうか。
それは私なんかには想像もつかないこと。

子どもらしい自由な発想力や表現力を奪って、自らの幼稚な作文を子どもの手で書かせた親の「教育」。
5歳児の文章は、その企ての結果であると思う。

私は、5歳児が大学ノートに書いたというひらがなの文章を新聞で読んで、その文章の背後に広…

ケヤキとサクラの横根の戦い?それとも助け合い?

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これは戦いなのか?
それとも、お互いに支え合って、共存共栄を企てているのか?
青森市中央市民センターの裏の公園で繰り広げられている横根の絡み合い。

当事者は、ケヤキとソメイヨシノ(以下サクラと記述)。

松原公園のケヤキの横根のことは、以前記事にしたことがあった。
あの横根もすごかったが、こちらの横根はもっとすごい。

公園の草刈りが、ちょうど済んでいたので、横根の姿をはっきりと見ることができた。








上の写真は、灰白色のケヤキの横根を、濃いグレーのサクラの横根が乗り越えて張り出しているもの。

この写真を見ると、ケヤキがもともと植えられていて、その後にサクラが植えられたように見える。
後からやって来たサクラが、古くから住んでいるケヤキの横根を ドッコイショしているような。

だが、下の写真を見ると、ケヤキとサクラの横根のドッコイショは、交互に行われていることがわかる。
ケヤキもすごいが、サクラも負けていない。




樹木の根の役割は、樹木の体を支えること。 水分や養分を土壌から吸収し、幹や枝葉に送り込むこと。
私はこのブログで、横根と書いているが、正しくは水平根と言うそうである。 地中深く下に向かって伸びる根は、垂下根。 地中で斜め方向に伸びる根は、斜出根。
この水平根がなぜ地上に姿を表すのだろうか。 地上に露出した根は、根としての役割を果たせるのだろうか。



樹木の根は、土の中に潜るものである。
背が低い草の根だって、土中に潜っている。
まして背が高くが風当たりの強い樹木の根は、地中深く潜って体を支えなくてはならない。

なのにどうして、ここのケヤキとサクラは根を露出させているのだろう。
植物について書かれた本※を読んで学んだことは、植物は「ハングリー精神」が旺盛だということ。
この「ハングリー精神」が水平根を地上に露出させているのではあるまいか。
(※本:主に「植物のあっぱれな生き方(生を全うする驚異のしくみ)田中修著」

根が活動するためには、空気と水分と栄養分が必要である。
特に、土中の空気が不足すると、根は酸欠で窒息し枯れてしまう。

この公園の土の中は空気不足なのではあるまいか。
なのでケヤキやサクラの水平根は、空気を求めて地上に姿を露わにしている。
まるで空気不足の水槽で口をパクパクさせている金魚みたいに。

地中に空気が無いなら、それを地上に求めるだけさと、樹木の「ハングリー…

金木オートキャンプ場のコメツブツメクサの群生

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名前は知っていたが、現物にお目にかかったことは無かった。
今回が初見のコメツブツメクサ。
と思ったが、青森市の新中央埠頭で見かけた「海辺の草地に生えていた、ツメクサに似た葉の、小さな黄色い花」がコメツブツメクサだったら、初見ではないことになる。
あの野草が何であったか、まだ結論は出ていない。

金木町の芦野湖(藤枝溜池)に面した金木オートキャンプ場。
コメツブツメクサは、その丘の草地に群生していた。

コメツブの名を冠している通り、花はとても小さい。
球状に集まっている一個一個の花の長さは3~4ミリほど。
球状の花序の直径は、7ミリぐらい。
葉は3出複葉で倒卵形。

花は小さいが、黄色なのでよく目立つ。
シロツメクサアカツメクサ(ムラサキツメクサ)のお仲間である。
マメ科の植物独特の印象が、花や葉から伝わってくる。
明瞭で直線的な葉脈は、シロツメクサやアカツメクサと同様である。

コメツブツメクサの別名は、キバナツメクサ。
でも、シロツメクサやアカツメクサより格段に花序が小さいので、コメツブツメクサの名で親しまれているという。

地面にびっしりと敷き詰められているので、匍匐して広がっているのかと思ったが、そうではなかった。
茎の分枝が多く、その一本一本が立ち上がっている。
草丈は10~20センチほどであった。




花も葉も、コメツブツメクサによく似ている野草に、コメツブウマゴヤシがある。
ほとんど、そっくりさんである。

このそっくりさんな2種については、以前記事にした通りである。
が、今回は決定的な違いが明確だった。

その決定的な違いとは、コメツブウマゴヤシの花は受粉後枯れ落ちてしまうこと。
これに対して、コメツブツメクサの花は、受粉後、白く枯れても垂れ下がりながら花柄についたままである。








オートキャンプ場の草地の一角を占領しているコメツブツメクサの絨毯。
その可憐さで、キャンパーを癒やしてくれるに違いない。

大自然はオートキャンプには向かない。
あまりの存在感に圧倒されて、心が安らかにならないからだ。

日常から、ちょっと離れたところにある小自然。
そんな環境が、オートキャンプに向いている。

そしてこの小自然そのものであるコメツブツメクサ。
黄色と緑の色合い優しく、金木オートキャンプ場を和やかな雰囲気にしてくれている。

深山でシロツメクサに出会うことはほとんどない。
人里に寄り…

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