雑談散歩

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芭蕉の重複「年々や猿に着せたる猿の面」

ネットでは芭蕉の様々な句に出会う。
だが、そのすべての句が、ほんとうに芭蕉の作であるかどうか、私には調べようもない。

芭蕉作と伝えられている俳諧には、「存疑句」や「誤伝」、「贋作」も少なからずあるという。
信頼できる文献として、今栄蔵氏校注の「芭蕉句集」(新潮日本古典集成)がある。
なんら調べる手立ての無い私としては、この「芭蕉句集」に頼らざるを得ない。

年々(としどし)や猿に着せたる猿の面
松尾芭蕉

最初この句に出会ったとき、これは本当に芭蕉の作であろうかと、ちょっと疑念が湧いた。
疑念の理由は「猿」という字の重複。

限られた字数で表現しなければならない定型詩「俳諧」において、この句の「猿」の重複は、素人目に字の無駄遣いのような気がしたからだ。

私が芭蕉の句に感じる、心地よいイメージの広がりが、この句には感じられなかった。

だが、上記「芭蕉句集」に掲載されているところを見ると、この句は芭蕉の創作であるようだ。

この句を読んで、猿が猿の面をつけるとは、不思議な気がした。
しかし、当時の猿まわしで、猿に「博多にわか」のような半面をつけて、その芸を見せるようなこともあったのではないかと推測した。
その方が、滑稽さを増すであろう。

前書きに「元旦」とあるから、正月一日の恒例の猿回しを題材にとったと思われる。

だが、それも毎年同じ繰り返しでは飽きてしまう。
それこそ芸が無いことになる。
そもそも、猿に面などつけさせずに、そのままの表情で演技させたほうが、むしろ面白いのではないだろうか。
面や飾りなどつけずに、素のまんまの方が面白いという、芭蕉の「俳諧論」のようにも読める。

句としては以下の特徴が見える。
「年々や」と「畳語」を用い、「猿に着せたる猿の面」と「猿」を繰り返す。
わざと重複と重複で、くどい句を作っているようにも感じられる。

空間的な広がりもなく、お面をかぶった猿だけをクローズアップしている。
やはり、「俳諧作法」を論じた句なのだろうか。

字の無駄遣いと書いたが、私の知る限り、「猿」を重複使用した句がもうひとつある。

「猿引(さるひき)は猿の小袖を砧(きぬた)哉」
この句は、「猿の小袖」というところが可愛らしい。
それを砧で打って柔らかくしょうとする「猿引」の、猿に対する愛情が感じられて面白い。
この句については、「猿」が重複しても、あまり気にならない。

その句の持っている雰囲気で、気になったりならなかったり。
これも芭蕉の誘導によるものか?

ともあれ、来年(2016年)は申(さるどし)。
年末年始は、猿猿猿と猿の連発、重複のいっときを過ごさなければならない。

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