五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん
芭蕉には、「五月雨」の句が多い。
「五月雨をあつめて早し最上川 」
鳰(にお・にほ)はカイツブリのこと。
カイツブリは、流れの緩やかな河川や、湖沼、湿原などに棲息する水鳥。
なかでも、有名なものに以下のふたつがある。
「五月雨をあつめて早し最上川 」
「五月雨の降残してや光堂」
だが、次の句もなかなか良いと私は思っている。
五月雨に鳰(にお)の浮巣(うきす)を見にゆかん
松尾芭蕉鳰(にお・にほ)はカイツブリのこと。
古くから滋賀県の琵琶湖に目だって多く生息していたので、琵琶湖は「鳰の海」とも呼ばれていた。
岸近くに、葦などの水生植物や杭や枯れ枝に、水生植物の葉や茎を組み混んで巣を作る習性がある。
これが「鳰の浮巣」である。
長雨(五月雨)が続いているが、浮巣は沈んでいないだろうか。
増水で押し流されていないだろうか。
増水で押し流されていないだろうか。
鳰は、もう卵を産んだだろうか。
雛はかえっただろうか。
可愛い雛の顔を見たいものだ。
可愛い雛の顔を見たいものだ。
などと、好奇心が尽きない芭蕉は、「鳰の浮巣」のことが気になって仕方が無いというイメージである。
これは私の勝手な思いつきなのだが、芭蕉の句には、芭蕉が登場しない「情景描写の句」や、「劇の句」がある。
「情景描写の句」とは、芭蕉がカメラマンに徹した句で、その情景がドラマのワンシーンのようになっているもの。
「劇の句」とは、芭蕉が主役を演じる劇の句。
掲句は、その「劇の句」であると思う。
好奇心に富んだ芭蕉の姿が生き生きと描かれていて、心躍るような句になっている。
ところでこの句は、芭蕉四十四歳の夏に江戸で詠んだものとされている。
芭蕉は四十四歳の秋に「笈の小文」の旅に江戸を出発し、須磨でこの旅を終え、京都を経て大津に立ち寄ったといわれている。
掲句は、この大津への旅の予告だったとする説がある。
「鳰の浮巣」見物に、江戸から大津まで旅してみようかなという感じ。
この軽妙さが芭蕉のスタイルのひとつだったのだろうか。
「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」
「五月雨に鳰の浮巣を見にゆかん」
掲句は「劇の詩人」である芭蕉の、台詞のような句である。
この台詞の後には、「旅人と我が名呼ばれん初時雨」という名台詞が控えている。