夢の時間は騒然と流れていく、井上陽水「東へ西へ」
お花見会場のイラスト(お花見イラスト素材集より) |
東奔西走。
井上陽水の「東へ西へ」を聴いていたら、「東奔西走」という四字熟語が頭に浮かんだ。
だが、「東へ西へ」は、仕事や用事のためにあちこち忙しく走り回るという歌ではない。
恋人と駅で待ち合わせて花見へ行くという歌なのだ。
その花見会場に着くまでの断片的な出来事。
花見会場に着いてからの断片的な出来事。
そんないくつかの出来事が、くっついて「物語」となっている。
この「物語」は、東奔西走ではなく、一路「主人公」が花見に行くという設定。
しかし、そのドタバタした慌ただしい様子が「東奔西走」という雰囲気を漂わせている。
「東へ西へ」という曲のタイトルが、「東奔西走」という四字熟語へと誘導する。
「主人公」は睡眠不足の頭を慌ただしく東奔西走させながら、一路花見に向かう。
私達は、この意味的なつながりの無い、断片の寄せ集めのような歌を、どう聴けば良いのだろう。
たとえば「津軽海峡冬景色」を聴くみたいに、物語の筋を追いながら、「ああ」と感動すれば良いのだろうか。
おそらく、そんな聴き方はできない。
なぜなら「東へ西へ」の物語は、「夢」の再現であるからだ。
この物語が、意味のある現実ではないことは言うまでもない。
そのように、「東へ西へ」は、詩に写された不思議な映像を空想させる歌である。
一般に、映像記憶は、大脳の視覚皮質に記憶として蓄積されるといわれている。
とすれば、「東へ西へ」は、聴く歌ではなく、大脳の視覚皮質で感じる歌なのではあるまいか。
私達は、井上陽水によって手渡された花見の万華鏡を覗き込む。
昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ
満月 空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える
目覚まし時計は母親みたいで心がかよわず
たよりの自分は睡眠不足で だから
ガンバレみんなガンバレ月が流れて東へ西へ
電車は今日もスシヅメのびる線路が拍車をかける
満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う
お情無用のお祭り電車に呼吸も止められ
身動き出来ずに夢見る旅路へ だから
ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
花見の駅で待ってる君にやっとの思いで逢えた
満開 花は満開 君はうれしさあまって気がふれる
空ではカラスも敗けないくらいによろこんでいるよ
とまどう僕にはなんにも出来ない だから
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ月は流れて東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
だが、「東へ西へ」は、仕事や用事のためにあちこち忙しく走り回るという歌ではない。
恋人と駅で待ち合わせて花見へ行くという歌なのだ。
その花見会場に着くまでの断片的な出来事。
花見会場に着いてからの断片的な出来事。
そんないくつかの出来事が、くっついて「物語」となっている。
この「物語」は、東奔西走ではなく、一路「主人公」が花見に行くという設定。
しかし、そのドタバタした慌ただしい様子が「東奔西走」という雰囲気を漂わせている。
「東へ西へ」という曲のタイトルが、「東奔西走」という四字熟語へと誘導する。
「主人公」は睡眠不足の頭を慌ただしく東奔西走させながら、一路花見に向かう。
私達は、この意味的なつながりの無い、断片の寄せ集めのような歌を、どう聴けば良いのだろう。
たとえば「津軽海峡冬景色」を聴くみたいに、物語の筋を追いながら、「ああ」と感動すれば良いのだろうか。
おそらく、そんな聴き方はできない。
なぜなら「東へ西へ」の物語は、「夢」の再現であるからだ。
この物語が、意味のある現実ではないことは言うまでもない。
そのように、「東へ西へ」は、詩に写された不思議な映像を空想させる歌である。
一般に、映像記憶は、大脳の視覚皮質に記憶として蓄積されるといわれている。
とすれば、「東へ西へ」は、聴く歌ではなく、大脳の視覚皮質で感じる歌なのではあるまいか。
私達は、井上陽水によって手渡された花見の万華鏡を覗き込む。
昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ
満月 空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える
目覚まし時計は母親みたいで心がかよわず
たよりの自分は睡眠不足で だから
ガンバレみんなガンバレ月が流れて東へ西へ
電車は今日もスシヅメのびる線路が拍車をかける
満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う
お情無用のお祭り電車に呼吸も止められ
身動き出来ずに夢見る旅路へ だから
ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
花見の駅で待ってる君にやっとの思いで逢えた
満開 花は満開 君はうれしさあまって気がふれる
空ではカラスも敗けないくらいによろこんでいるよ
とまどう僕にはなんにも出来ない だから
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ月は流れて東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
「夢」のストーリーを繋げているものは、「ガンバレ」に象徴される「騒然さ」である。
その「騒然さ」は、「満月」や「目覚まし時計」や「満員」、「お祭り電車」、「花見」、「満開」、「カラス」というキーワードでエスカレートする。
リズミカルで陽気な曲調が「騒然さ」を囃し立てる。
私達は、人混みでごったがえした花見の「夢」を見て、その「夢」のなかでミステリアスな出来事に遭遇する。
満員電車の床に倒れた老婆が笑ったり。
お祭り電車に呼吸を止められたり。
満開の花にうれしくなって気がふれたり。
空でカラスがよろこんだり。
私達の記憶は、そんな風景にかすかな見覚えがあると反応する。
お化け屋敷の中を通りながら、かすかな既視感を抱くように。
桜の花に幻想性を感じるように。
そうして、「東へ西へ」の楽しい「花見の夢」のなかへと誘い込まれるのだ。
花見の時期は、なにかと忙しい。
その忙しさの中で、新しい生活が始まる。
慌ただしく断片的な生活を繋いで、この時期を過ごす。
「ガンバレみんなガンバレ」は、そんな慌ただしい実生活への応援歌でもあるようだ。
「夢」は現実を含んではじめて「夢」となる。
慌ただしい「夢」の物語が、慌ただしい現実に流れ込む。
「ガンバレみんなガンバレ」は、みんなこの「夢」で連帯しようというふうにも聞こえる。
【「色文字部分」:井上陽水作詞「東へ西へ」より引用。)】