谷でのミズ採りと、そのミズの家庭料理
ミズの谷。まだ、ミズバショウノ葉が大きい。 |
ミズが群生する谷でミズ採り。
ミズの谷に下りるのは、久しぶりだ。
そう言えばこの夏は、久しぶりに再開することが多い。
タケノコ採りもそのひとつ。
「さんない温泉」もそのひとつ。
おまけにミズ採り。
昔やっていたいろんなことを久しぶりにしてみて、時間を巻き戻そうとしているのか。
老人のあがきか。
それとも、新しいことをするアイデアが出ないのか。
「故きを温(たず)ねて新しきを知る」なのか。
などといろいろなことを、独りやかましく思いながら、静かな谷へ下りてゆく。
昔鮮明だった山の作業道跡は、今は藪に覆われて、踏み跡が消えてしまっている。
それだけここの谷には、人が下りていないのだろう。
この森からミズの谷へ下りる。 |
別にこの谷でなければ、ミズが採れないという訳ではない。
もっと近場で、楽して大量にミズを採れる場所はいくらでもある。
それに、この谷で採れるミズが非常に美味しいという訳でもない。
が、なんとなく魅かれる谷なのだ。
このあたりでミズを採るなら、この谷で。
という雰囲気が、この谷にはある。
それは、どういう雰囲気か。
深山の気配が濃いということもある。
舗装された自動車道路の脇の空き地にクルマを止めて、そこからわずか20分ぐらい下った場所なのだが、深山の気配が濃厚である。
物音を遮ってしまう独特の地形が、そういう雰囲気を醸し出しているのだろう。
この谷の独特の地形とは、急峻な山の斜面に囲まれた、小さくて狭い谷底になっているということ。
下界から遮断された、私のお気に入りの小世界なのだ。
その小世界に籠ってのんびりする。
山菜を採る行為には、そういう一面がある。
日常から離れた異空間に籠る。
ミズバショウとミズが入り混じって生えている。 |
ミズはありがたい山菜である。
ミズは、青森市周辺の山には豊富にある。
ちょっと山に入って、沢筋や湿った斜面を覗けば、たいてい生い茂っている。
多年草で、広範囲に群生しているので、一ヶ所で大量に収穫できる。
採取時期が長い。
青森市周辺では、4月の終わりごろから9月いっぱい、採って食べることのできる山菜である。
おまけに栄養価が高い。
特にビタミンCが多いと言われている。
ミズの粘り気の成分「ムチン」は、様々な効能がうたわれている。
しかし、ビタミンCは水に溶けやすい。
「ムチン」は熱に弱い。
ミズの高い栄養価の恩恵を受けるには、調理の工夫が必要である。
津軽地方のミズの家庭料理にそういう工夫が施されているのかいないのか。
それは、郷土料理を栄養学的に研究されている専門家に託すほかない。
収穫したミズ。 |
山の中で育ったミズは、天然の野菜と言える。
農薬と化学肥料で育ったスーパーの野菜も必要かもしれないが、天然の野菜は格別。
ミズに備わった栄養分をもれなく摂取できる調理法は知らないが、津軽地方に伝わる料理でも、ミズの恩恵を受けることはできる。
私は、ミズをこの10日間ぐらい食べ続けているが、お腹の調子がとてもいい。
腸の働きが弱く、お腹をこわしがちだったのだが、このところ快便である。
これもミズのおかげだと思っている。
だから、今年はミズをじゃんじゃん採って、じゃんじゃん食おう。
慢性胃炎解消に効果があるかもしれない。
大腸ポリープ解消にも、効果があるかもしれない。
いや、この10日間の体験から言って、大いに効果が期待できる、と思う。
これは老人の、せっかちで浅薄な結論か・・・・・。
ミズの葉。 |
採取してきたミズは、薄皮をむいて利用する。
その際、葉は捨ててしまう。
青森では、ミズの葉を食べるという話は、まったく聞かない。
でも、どこかシソの葉に似て美味しそうである。
ちなみに、ミズ(ウワバミソウ)はイラクサ科でシソとは別物。
せっかく採ってきたものを捨てるのはもったいないということで、天ぷらにして食べてみた。
結果は、無味。
天ぷらの衣の味だけが、空しく口の中に広がる。
ミズの葉を、生でかじってみても無味。
ミズ(茎)自体が淡白な味わいなので、葉はいっそう淡白で無味なのだろう。
ミズの葉は、料理に彩を添える「飾り物」としてなら良さそうだ。
ミズの葉の天ぷら。 |
結局今日も、「ミズの芥子醤油和え」と「ミズと糸コンと油揚げの炒め物」でいただいた。
家庭での、ミズの定番料理の一端である。
ミズは採れた場所によって微妙に味が異なる。
つまり、「うまいまずい」がある。
ミズの良し悪しは、ヌメリがあるかどうかだと私は思っている。
ミズの谷のミズは、ヌメリがあって美味かった。
ミズの家庭料理は、そのヌメリを引き出しやすい油炒めが、いちばんの好みである。
皮むきしたミズ。茎(左)。たたき用のミズの根(右) |
ミズの家庭料理。茹でたミズの芥子醤油和え(左)。ミズと糸コンと油揚げの炒め物(右) |