禅寺の松の落葉や神無月

宝井其角(たからいきかく)が序文を担当した蕉門の俳諧選集「猿蓑(さるみの)」。
その「巻之一 冬」は、松尾芭蕉の「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」で始まる。
「猿蓑」の書名は、芭蕉のこの句に由来している。

「巻之一 冬」は、芭蕉の冒頭の句から、向井去来(むかいきょらい)の「いそがしや沖の時雨の眞帆片帆」という十三句目まで「しぐれ」を題材としたもので占められている。
以前「カッコいい句である」と私が感じて記事にした「時雨るゝや黒木つむ屋の窓あかり」という凡兆の句は九句目に並んでいる。

禅寺の松の落葉や神無月
野沢凡兆

前述した「巻之一 冬」の、十八番目にある凡兆の句。
この句の毅然とした様子も、なかなかカッコいいと私は感じている。

凡兆が暮らした京都に「禅寺」は多い。
金閣寺や銀閣寺、高台寺。
「石庭(方丈庭園)」で有名な龍安寺。
紅葉の名所となっている東福寺。
松並木の美しい大徳寺。
全て「禅寺」である。

「禅寺」には清浄なイメージがある。
常緑樹である「松」は、冬でも青々とした葉をつける。
その姿が不老長寿の象徴となり、昔から魔除けや神様を迎える樹として大切にされてきた。
「神無月」は初冬の季語。
「神無月」とは陰暦の10月のこと。
「神無月」には日本中の神様が出雲の国に集まるという。
そこで、出雲以外は神不在の月であるから「神無月」と名付けられたという「説」は有名である。

初冬の「禅寺」の境内の、凛とした清々しい空気が伝わってくるような句である。
境内に、まだ青々とした松葉が落ちていた。
まるで、不浄なものが足を踏み入れるのを拒むように。
凡兆が足元を見つめ、それから上を見上げると、澄んだ青空を背景に、太い松の枝が天に向かって伸びている。
凡兆は、「禅寺」のこの光景に神々しいものを感じたのではなかろうか。

掲句は、真っ直ぐなイメージで貫かれている。
「禅寺」には、背筋をピンと伸ばした真っ直ぐなイメージ。
「松」の葉の真っ直ぐなイメージ。
「神無月」の、初冬の寒気が張り詰めたような真っ直ぐなイメージ。

訪れた「禅寺」の境内の空間で、凡兆は、静寂で真っ直ぐなイメージに心打たれる。
無音の世界。
凡兆は、聖域を強く感じたのかもしれない。
そして、この清々しい叙景句が、思い浮かぶ。
「禅寺」と「松の落葉」の取り合わせが、清浄で静まりかえった空間に句の読者を誘う。
禅宗は江戸時代に武士や町衆の間に広まったと言われている。
これは私の想像だが、京都の町衆はその時々、清浄なものに触れようと「禅寺」の境内を訪れていたのかもしれない。

「禅寺の松の落葉や神無月」

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