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焼肉レストランにて「~になります」のお話

2021/06/30
外食はめったにしない。
ずっと自炊をして食べてきた。
それが、高齢になるとだんだんと面倒になってくる。
いつも独りの、アパートの部屋で食べるのも味気ない。

たまには外食をして、心機一転と思った。
スーパーへ行く途中の焼肉レストランに入った。
買い物の行き帰りに、美味しそうな匂いがしていたからだった。


カルビ。

 店内は家族連れでいっぱい。
休日の夕食時だから無理もない。
独り者の私は気後れした。
このまま引き返そうかなと思った。
すると若い女性店員が私の方へ近づいてきた。

「御一人様でしょうか?」
「はい」
「それでは、お席にご案内してもよろしいでしょうか。」
「はい」
奥に案内された。

トイレの表示のある通路の前で女性店員は足をとめた。
「お席は、こちらになります。」
笑顔で言った。
笑顔になると口が大きい。

「えっ?」
困惑は、突然訪れる。
私は驚いた。
こんな扱いを受けるとは。
みすぼらしい身なりが良くなかったのか。
スーパーや銭湯に出かけるならまだしも。
焼肉屋といっても、今風のレストランなのだ。
もうちょっとイイものを着てくるべきだった。
私は、仕方なく通路に腰をおろした。

女性店員は、あわてて言った。
「あっ、お客様、こちらへおかけください。」
すぐそばの壁際に、二人席があった。
なるほど、こっちが席になっているのか。
女性店員は、口を大きくあけて、しばらく私を見つめていた。
口も大きいが目も大きい。

「こちら、メニューになります。」
腰掛けた私に、女性店員が漫画本を手渡して言った。
「お決まりになりましたら、お知らせください。」
「こちら、呼び鈴になります。」
女性店員はテーブルの片隅を、バスガイドのように手の平で指し示した。
私は漫画本を見ながら、それがメニューになるのを待った。
そして、テーブルの上の呼び鈴が鳴るのを待った。

「お客様、まちがいました!」
女性店員が長い脚で駆け寄ってきて、私から漫画本を取り上げた。
「失礼しました、こちらがメニューになります。」
彼女は、すでにメニューになっているものを私に手渡して非礼を詫た。

「とりあえず生ビールとカルビ一人前ね。」
「はい、失礼しました。」
女性店員は、ふたたび非礼を詫た。
そして、すぐにジョッキを持ってきた。
「こちら、生ビールになります。」
ジョッキの中に、淡く澄んだ小麦色の液体が入っていた。
その上部が、細かく泡立っている。
もうすでにビールになっていた。

私は、久しぶりの生ビールを味わった。
老人仲間の忘年会以来だから、もう七ヶ月ぶりだろうか。
女性店員が白い皿を両手に持って私の席にきた。
「こちら、カルビになります。」
私は思い切って女性店員にたずねた。
「じゃ、まだカルビじゃないんですか?」

彼女は、ちょっと考えてから口を開いた。
「はい、まだ生肉です。」
彼女は、平然として言った。
「アミでお焼きになれば、美味しいカルビになります。」
なるほど、それなりの「~になります」だったのだ。
私はようやく、この女性店員の「~になります」に納得することができた。

「失礼しました。」
幾度めかの非礼を詫て、女性店員は何事もなかったかのように去っていった。

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