2015/12/15

「忠臣蔵」の思い出、林不忘の「口笛を吹く武士」

過ぎてから気がついたが、昨日12月14日は、 赤穂浪士が吉良邸に討ち入った日とされている。
仇討の相手である吉良上野介が切り殺されたのは、今日15日の未明であったとか。

もっとも、史実にある日付は旧暦によるものである。
これを太陽暦(グレゴリオ暦)に改めると、旧暦の12月14日は、太陽暦では歳が明けた1月30日になるという。

「忠臣蔵」の講談や浪曲は、江戸時代から、年の暮れの「風物詩」みたいなものだったから、現代でも太陽暦の12月14日を「赤穂浪士討ち入りの日」としているのだろう。
「忠臣蔵」は、年末恒例の時代劇として、その様々なバージョンがテレビなどで放映されている。
それらに接すると、昔、NHKの大河ドラマで大佛次郎原作の「赤穂浪士」を毎回見ていたのを思い出す。
重々しいテーマ曲のなかに挿入された、バシッビシッという「板むち」の音は、今でも耳に残っている。

私の「忠臣蔵」の思い出は、「赤穂浪士」のほかに、もう一つある。
それは、昔読んだ林不忘の短編小説「口笛を吹く武士」である。

この小説の主人公は、清水一角の兄であるという清水狂太郎という人物。
私は高校生のころ、この主人公が吐く「だが、犬も歩けば棒に当たる。あばよ。」という台詞がえらく気に入っていた。
ああ、「あばよ」という文句は、こういう風に言うんだなあと思ったものだった。
この「あばよ」「犬も歩けば棒に当たる」の組み合わせが、この上ないもののように思われた。

当時、石原裕次郎とか小林明の映画で「あばよ」は盛んに使われていた。
津軽半島の田舎の中学生たちは、活劇の主人公になった気分で「あばよ」を連発したものだった。
私もそのひとりだったが、高校生になって、「口笛を吹く武士」で「だが、犬も歩けば棒に当たる。あばよ。」という台詞に接したとき、これが本物の「あばよ」だなと思ったのだ。
そして、この短い台詞が、清水狂太郎という登場人物を知る上でのヒントになっていると、なぜか痛烈に思ったのだった。

だから、「忠臣蔵」の季節になると、林不忘の「口笛を吹く武士」のことを、よく思い出す。
清水狂太郎は、吉良上野介護衛のために、吉良邸内の長屋に寝泊まりしている清水一角の兄で、弟の部屋に居候している。
毎日のように、昼間から酒を飲んでは酔っ払い、吉良邸の護衛には全く無関心という困った兄者なのだ。

その兄者に弟が、もっとまじめにやってくれとガミガミ説教する。
部屋でゴロゴロしていないで、赤穂浪士の策動を突きとめるために行動してほしいと詰め寄る。

そんな弟の説教に辟易して、狂太郎は「赤穂浪士探索」のため外出すると言う。
それを聞いた清水一角が、どこかに心当たりでもおありかと問う。
狂太郎は、そんなものは無いと言い、その次の台詞が「だが、犬も歩けば棒に当たる。あばよ。」なのだ。

吉良邸の通用門で、「通るぞ。雑魚一匹!」と門番に怒鳴って外へ出た狂太郎。
神奈川の宿で、町人に変装した赤穂の浪士を見破るが、そのことをどうするということもなく、口笛を吹いてその場を去っていく。

狂太郎は吉良邸にもどっても、赤穂の浪士のことは弟の一角に報告しない。
その後も狂太郎は、相変らず、吉良邸の弟の部屋で、酒に酔って終日寝てばかりいた。
赤穂の浪士が潜伏している宿の周辺には吉良のスパイが出没したが、そのスパイが何者かによく切り殺されたという。
そんな時は、必ず口笛が聞こえたという。

清水狂太郎も一角とともに、12月14日の夜は、吉良邸に居たはずなのだが、その消息は不明である。
赤穂の一党が、高輪泉岳寺へ向かう途中、廻りみちをして永代橋を渡っていたとき、行列のなかの武林唯七が、どこからともなく流れてくる口笛を聞くところで、「口笛を吹く武士」の物語は終わっている。

私は当時、この清水狂太郎のちゃらんぽらんなようで、どこか筋の通っているような生き方が、「だが、犬も歩けば棒に当たる。あばよ。」という台詞に象徴されているように感じたのだった。

狂太郎は、この物語のなかで以下のような台詞も吐いている。
「わかっておるよ。人間、食わしてくれるやつのためには、何でもする。いや、何でもせんければならんことに、なっておるのだ。これを称して忠義という。なあ、赤穂の浪人どもが、小うるせえ策謀をしておるのも、忠義なら、それを防がにゃならんこっちも、忠義だ。忠義と忠義の鉢合わせ。ほんに、辛い浮世じゃないかいな、と来やがらあ――どっこいしょっ、と。」
ちなみに、Wikipediaによると、史実の清水一学(しみずいちがく)には藤兵衛(とうべい)という兄がいたという。
「一学の兄の藤兵衛は児玉姓を名乗り、その子孫が今日まで続いている。」とある。
Wikipediaの情報が、正確であるとは限らないのだが・・・・。

ただ、この兄が「本所松坂町」の吉良邸に、討入りの夜にいたかどうかの記録は、ネットには見当たらない。

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