「梅の木に猶やどり木や梅の花」松尾芭蕉

これもサロン的な句で、あまり面白味が無い。
前書きに、「網代民部雪堂に会」とあるから、句会の「挨拶句」なのだろう。

梅の木に猶(なお)やどり木や梅の花
松尾芭蕉

「やどり木」とは、宿主の樹木に「寄生」する宿り木(ヤドリギ)のこと。
宿り木は、落葉樹の幹や枝に寄生し、その木から養分を吸い取って生育する。

山へ行くと、落葉樹が葉を落として、枝だけになった中に、緑のこんもりとした玉状の塊を、あちこちで見かけることがある。
この丸い塊は、宿り木の枝と葉が、びっしりとした茂みになっている状態。

山で眺めても、あんまり格好の良いものではないな、と思っているのだが・・・。

梅の木
梅の花盛り。
ネットで調べると、この句の説明は以下のようになっている。
足代民部弘員(あじろみんぶひろかず、俳号は雪堂)が、その父、弘氏(ひろうじ)と二代にわたって俳人として風雅の気質を引き継いでいることを、芭蕉が賞賛した「挨拶句」であるらしい。

二代の風雅な気質を賞賛しているのであれば、宿り木ではなく、梅の挿し木のほうが、この句の雰囲気にピッタリであるように思うのだが。

まさか芭蕉が、挿し木を宿り木とを取り違えていたわけではないだろう。
それとも、挿し木の形容として「やどり木」という語を用いたのか。

「梅の木に猶やどり木や梅の花」
梅の古木に、若々しい梅の挿し木が宿って、ともに風雅な梅の花を咲かせている、というイメージかな。

いずれにしても、句会の挨拶句では、イメージが広がらないのは毎度のこと。
もっとも芭蕉にしてみれば、その土地土地の実力者への挨拶なしでは、旅を続けることができなかったのかもしれない。

案外、俳諧サロンとは「あいつ、ここを通っておきながら、何の挨拶も無しかい」という俗な世界だったのか。
挨拶句は、「一宿一飯の恩義」でもあったのだろう・・・・・。
なんてことを書くと、俳聖を矮小化するな、と怒られそうだが。

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