2017/12/17

いでし月かも

冬になると、大根の煮物が食べたくなる。
寒さが増すたびに、大根の煮物を食べたいという気持ちが募る。

そうなると、度々訪れる天野原食堂。
ここの大根と豚バラの煮物は最高に美味しい。
もう絶品の味だと私は思っている。

天野原食堂は、天野という名字のご夫婦が経営している食堂。
奥さんの旧姓が原だったので、ふたり合わせて天野原食堂という屋号になったのだとか。

2017/12/16

一茶の風とインターネット「焚ほどは風がくれたるおち葉かな」

「今日はヒトデ祭りだぞ!」というブログで、「【100万PV達成】雑記ブログでアクセスアップする方法を全て教える」という記事をみつけた。

【100万PV達成】とは、一ヶ月間にブログのページビュー数(PV数)が100万回あったということ。
ページビュー数とは、ブログのページが開かれた回数を表す数字のことである。
このページビュー数の数字が多いブログは、それだけ多くの訪問者が訪れているということになる。

月間100万PVと言うと、一日あたりの平均PV数が約33,000回。
これは、すごい数字。
私のブログ「雑談散歩」の、PV数の一ヶ月分でさえ33,000回には遠く及ばない。

2017/12/15

意味のないことばと意味のある音

「あなたを思えばこそ言ったんですよ。」とその男が言った。

私が考え事をしながら道を歩いていたら、前方からやってきた男にぶつかりそうになったのだ。
私の不注意なのだが、「どこ見て歩いてるんだよ。」と高飛車に言われると、ムカつく。
「おまえが避けて通ればいいだろう。」と身構えて睨んでしまった。
男は中年の勤め人風。
私は、遊人風。

2017/12/12

月花の愚に針たてん寒の入り

「寒の入り」とは、暦の上で寒が始まる「小寒」のこと。
一年を二十四等分して季節を分けたのが二十四節気。
「小寒」は、その二十四節気の二十三番目にあたる。

旧暦の十一月後半から十二月前半あたりに「小寒」の日があるという。
「小寒」の前の二十二番目は、おなじみの「冬至」。
「小寒」の後の二十四番目は、二十四節気の最後「大寒」。

「小寒」から一層寒い日が続くようになるので、「寒の入り」と呼ばれている。
江戸時代では、「寒の入り」が来ると本格的な冬が始まるとされていた。
現代では、「寒の入り」の頃には体調を崩す人が増え、風邪やインフルエンザが流行する時期である。

2017/12/11

紫陽花の雪囲い、えっ紫陽花って木だったのか?

立木に結わえられて、雪囲いされている紫陽花。
 愛犬の散歩で訪れている公園は、もうほとんど雪囲いが終わっている。
大掛かりなものは、板で組んだ屋根があり、まるで小屋のようになっている。
簡単なものは支柱を立てて、植え込みをその支柱ごと結わえているもの。
もっと簡単なのは、植え込みを荒縄で結わえただけのもの。

猫の恋やむとき閨の朧月

早春の猫の発情期の鳴き声を、「うるさいなあ」と感じる人は多い。
うるさいはずである。
発情期の鳴き声のなかには、メス猫を奪うためにオス猫同士がバトルする雄叫びも含まれるからである。
恋に焦っているオス同士が、あふれるばかりの敵愾心を相手に向かってぶつけているのだから大音量になる。
もちろん、オス猫を呼び込もうとしているメス猫の鳴き声もかなりうるさい。
それに応えて、メス猫の鳴き声をまねるように鳴くオス猫の声が、また一段とうるさい。
そんな猫達の鳴き声が、行き来し増幅する。

2017/12/09

雪国の冬の必携品、ゴム長靴にあいた穴(亀裂)を補修する

ゴム長靴補修キット。
 三年前に買ったゴム長靴に穴(亀裂)が開いて、水が靴内に入り込むようになった。
釘かなんかで引き裂いてできた穴では無く、劣化によるひびわれが進んで細長い穴があいているような状態である。
雪かきをしているときに靴下が濡れて足が冷たくなってくる。
これは、とても我慢できるものではない。

三年経ったとは言え、冬場だけの使用なので、このまま捨てるのはもったいない。
それに、外見もそんなにヘタってはいない。
まだ黒ツヤが残っている。

2017/12/08

草いろいろおのおの花の手柄かな

芭蕉は元禄元年八月に、仲秋の名月を鑑賞するために美濃の地から信州更科への旅に出る。
「更科紀行」の旅である。
そのときに芭蕉は、見送りに来た岐阜の門人たちに留別吟を残している。
留別吟とは、旅立つ人があとに残る人に向けて詠む別れの句のこと。
芭蕉にとっては、「笈の小文」の旅へ出て以来、信州更科を経て、約十ヶ月ぶりに江戸へ帰る旅となる。

草いろいろおのおの花の手柄かな
松尾芭蕉

掲句は、その留別吟のひとつ。

2017/12/05

月はやし梢は雨を持ちながら

芭蕉は「鹿島紀行」の冒頭部分で「このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり」と書いて、「鹿島紀行」の目的のひとつが鹿島での月見であることを記している。
鹿島にある鹿島神宮は、万葉集に集められた「防人の歌」の歌枕の地である。
また「旅立ち」や「門出」を意味する言葉である「鹿島立ち」は、防人が旅立つ際に道中の無事を鹿島神宮に祈願したことに由来すると言われている。
「鹿島紀行」の旅の後、その年内に「笈の小文」の旅。
さらに翌年の「更科紀行」、翌々年の「おくのほそ道」と芭蕉の旅は続く。
芭蕉の「鹿島詣」は、これから続く俳諧行脚の旅への無事祈願も目的のひとつだったのかもしれない。

2017/12/04

花にうき世我酒白く飯黒し

「銀シャリ」という言葉を初めて聞いたのは、子どもの頃。
テレビドラマを見ていたときだったような。
刑務所での食事の時間に、受刑者がつぶやく。
「もうクサイ飯は食い飽きた。早くシャバへ出て銀シャリが食いてえぜ。」
そうそう、「シャバ」という言葉もそのドラマで覚えたのだった。
テレビドラマは、津軽半島の寒村で暮らす子ども達にとって、未知の世界のボキャブラリーの宝庫だったのだ。

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