2016/04/13

夢の時間は騒然と流れていく、井上陽水「東へ西へ」

東奔西走。
井上陽水の「東へ西へ」を聴いていたら、「東奔西走」という四字熟語があたまに浮かんだ。
だが、「東へ西へ」は、仕事や用事のためにあちこち忙しく走り回るという歌ではない。
恋人と駅で待ち合わせて花見へ行くという歌なのだ。
その花見会場に着くまでの断片的な出来事。
花見会場に着いてからの断片的な出来事。
そんないくつかの出来事が、くっついて「物語」となっている。

この「物語」は、東奔西走ではなく、一路「主人公」が花見に行くという設定。
しかし、そのドタバタした慌ただしい様子が「東奔西走」という雰囲気を漂わせている。
「東へ西へ」という曲のタイトルが、「東奔西走」という四字熟語へと誘導する。
「主人公」は睡眠不足の頭を慌ただしく東奔西走させながら、一路花見に向かう。

私達は、この意味的なつながりの無い、断片の寄せ集めのような歌を、どう聴けば良いのだろう。
たとえば「津軽海峡冬景色」を聴くみたいに、物語の筋を追いながら、「ああ」と感動すれば良いのだろうか。
おそらく、そんな聴き方はできない。
なぜなら「東へ西へ」の物語は、「夢」の再現であるからだ。
この物語が、意味のある現実ではないことは言うまでもない。

そのように、「東へ西へ」は、詩に写された不思議な映像を空想させる歌である。
一般に、映像記憶は、大脳の視覚皮質に記憶として蓄積されるといわれている。
とすれば、「東へ西へ」は、聴く歌ではなく、大脳の視覚皮質で感じる歌なのではあるまいか。
私達は、井上陽水によって手渡された花見の万華鏡を覗き込む。
昼寝をすれば夜中に眠れないのはどういう訳だ
満月 空に満月 明日はいとしいあの娘に逢える
目覚まし時計は母親みたいで心がかよわず
たよりの自分は睡眠不足で だから
ガンバレみんなガンバレ月が流れて東へ西へ 
電車は今日もスシヅメのびる線路が拍車をかける
満員 いつも満員 床にたおれた老婆が笑う
お情無用のお祭り電車に呼吸も止められ
身動き出来ずに夢見る旅路へ だから
ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ 
花見の駅で待ってる君にやっとの思いで逢えた
満開 花は満開 君はうれしさあまって気がふれる
空ではカラスも敗けないくらいによろこんでいるよ
とまどう僕にはなんにも出来ない だから
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ 
ガンバレみんなガンバレ月は流れて東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ夢の電車は東へ西へ
ガンバレみんなガンバレ黒いカラスは東へ西へ
「夢」のストーリーを繋げているものは、「ガンバレ」に象徴される「騒然さ」である。
その「騒然さ」は、「満月」「目覚まし時計」「満員」「お祭り電車」「花見」「満開」「カラス」というキーワードでエスカレートする。
リズミカルで陽気な曲調が「騒然さ」を囃し立てる。

私達は、人混みでごったがえした花見の「夢」を見て、その「夢」のなかでミステリアスな出来事に遭遇する。
満員電車の床に倒れた老婆が笑ったり。
お祭り電車に呼吸を止められたり。
満開の花にうれしくなって気がふれたり。
空でカラスがよろこんだり。

私達の記憶は、そんな風景にかすかな見覚えがあると反応する。
お化け屋敷の中を通りながら、かすかな既視感を抱くように。
桜の花に幻想性を感じるように。
そうして、「東へ西へ」の楽しい「花見の夢」のなかへと誘い込まれるのだ。

花見の時期は、なにかと忙しい。
その忙しさの中で、新しい生活が始まる。
慌ただしく断片的な生活を繋いで、この時期を過ごす。
「ガンバレみんなガンバレ」は、そんな慌ただしい実生活への応援歌でもあるようだ。
「夢」は現実を含んではじめて「夢」となる。
慌ただしい「夢」の物語が、慌ただしい現実に流れ込む。
「ガンバレみんなガンバレ」は、みんなこの「夢」で連帯しようというふうにも聞こえる。

   (「色文字部分」:井上陽水作詞「東へ西へ」より引用。)

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