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2016/11/25

三つの季重ね「肌寒し竹切る山の薄紅葉」

現代では、「季重ね」は避けた方が無難といわれているが、江戸時代ではどうだったのだろう。
「季重ね」と言えば、「目には青葉山ほととぎす初鰹」という山口素堂(やまぐちそどう)の有名な句が思い浮かぶ。
この句の「青葉」と「ほととぎす」と「初鰹」の三つは、夏の季語となっている。
三つの「季重ね」で出来上がっている句なのである。

「目には青葉」の「青葉」は視覚。
「山ほととぎす」の「ほととぎす」は聴覚。
「初鰹」は、言わずと知れた味覚。
三つの感覚で夏を表現しているから、季語が重なっても違和感は無いと言われている。
むしろ、「季重ね」の名句とも評価されているようだ。
当時の江戸っ子に、広く受け入れられた句であったことだろう。

肌寒し竹切る山の薄紅葉(うすもみじ)
野沢凡兆

「肌寒し」と「竹伐(切)る」と「薄紅葉」は、三つとも秋の季語。
凡兆のこの句も、三つの「季重ね」で出来上がっている。
しかし、素堂の句のように、季節の生活を楽しんでいる内容では無いような・・・・。

「薄紅葉」とは、紅葉し始めの薄く色づいた木の葉のこと。
家を出たら、今までにない肌寒さを感じた。
もうそんな時期かなと、これから竹を切りに行く山の方を眺めたら、うっすらと紅葉が始まっている。
なるほど肌寒いはずだ、とうなずく。
もうすでに竹を切っている音が、山のほうから聞こえる。
そんな薄紅葉に囲まれた野良仕事の句である。

切った竹の使い道はいろいろ。
庭木の雪囲いに使うのか、冬期の風除けに使うのか。

案外これも、それなりに季節の生活を楽しんでいる句なのかもしれない。
まだ緑の部分が残っている薄紅葉を眺める楽しさ。
使い勝手の良い竹を収穫する楽しさ。
山で竹切る野良仕事の楽しみが伝わってくる明るい句である。

山口素堂の「初鰹」の句は、延宝6年(1678年)の「江戸新道」という句集に収録されている。
野沢凡兆の「薄紅葉」の句は元禄4年(1691年)7月に発刊された句集「猿蓑」に収められている。
凡兆の「薄紅葉」の句は、素堂の三つの「季重ね」の句を意識して作ったものかどうか。
そんな陳腐なことを考えているのは、おそらく私だけではあるまいか。

それはともかく。
素堂は目で感じ、耳で感じ、舌で感じる夏の句を作った。
凡兆は、肌(肌寒し)で感じ、耳(竹を切る音)で感じ、目(薄紅葉)で感じる秋の句を作った。
両者の句に共通しているのは、季語でないのは「山」という語だけということ。

素堂の「山」は、そっちの方からほととぎすの鳴き声が聞こえてくるという観賞の「山」。
凡兆の「山」は、実際に山に分け入って、竹を切る「山」。
そのへんが面白い。

※山口素堂は江戸前期の俳諧師。松尾芭蕉の友人で、当時、深川の芭蕉庵の近くに住んでいたとされている。

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