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2017/04/15

凡兆の生活空間スケッチ「五月雨や苔むす庵のかうの物」

「漬物」は発酵することで香りがよくなってくることから、室町時代には「香の物」と呼ばれるようになったという。
現代では、糠漬けなどは「糠漬け臭い」と言われ、糠漬けの味はともかく、その匂いはあまり歓迎されない。
漬物の匂いの代表格は沢庵漬け。
私の周辺には、沢庵漬けが発している匂いを「良い香りね」とおっしゃる方もいるが、それは少ない。
好みの程度の違いはあっても、現代ではそういう傾向にある。

では江戸時代においてはどうだったのだろう。
庶民生活の食卓は、飽食の時代と言われている日本の現代ほど足りてはいなかったのではないだろうか。
江戸時代の庶民にとって、漬物は貴重な保存食だったに違いない。

その貴重な食品が発している匂い。
ぷうんと香るその匂いを、嫌っていただろうか?
ちなみに私は、沢庵漬けの匂いはそんなに嫌いではない。

五月雨や苔むす庵のかうの物
野沢凡兆

「かうの物」とは、漬物である「香の物」のこと。
「五月雨(梅雨)」の時期は、匂いの時期。
湿度も気温も上昇して、雑菌の活動が活発になる時期である。

また、家の中に雨が降りこむのを防ぐために、窓は閉じられ、家の中には生活臭がこもりがちになる。
それに「五月雨」の湿っぽい匂いが「苔むす庵」に漂う。
「苔むす」ほどに古びた「庵」。
そんな生活空間に、「かうの物」の匂いがしている。
この句のイメージを思い描いていると、「苔むす庵」という生活空間が脳裏に浮かんでくる。

「五月雨」も「苔」も「かうの物」も匂いを発するもの。
そういう「もの」を描くことで、凡兆は「庵」の存在感を表現しようとしている。
と、私は感じている。
存在感とは、確かに存在しているという強い印象のこと。
この生活空間の印象を強めているのは「匂い」である。

凡兆は、言葉から匂いを発生させ、その匂いで「苔むす庵」の存在感を表現している。
読者は、その存在感に刺激されて脳裏にイメージを思い描く。
凡兆が表現した存在感が読者に作用して、その反応として読者は様々なイメージを思い描く。
まるで言葉を「もの」のように使いこなしている。

「苔むす庵」で匂っている「かうの物」の強い印象が生活空間を想像させ、「庵」の住人の生活までも思い浮かばせる。
それが、「もの」を描くことで物の存在感を表現しようとする凡兆の手法であると私は感じている。
「ものの在り方」を句で求めてきた凡兆の方法。
「市中は物のにほひや夏の月」という句で、夏の京都市街の存在感を表現しようとしたように、凡兆は「苔むす庵」の生活空間をスケッチしている。
その存在感は鮮明である。

五月雨や苔むす庵のかうの物

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