雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

机上の方法、暗中模索のキノコ採りの道

開いたナメコ。あと2~3日で腐り始める。
2万5千分の1の地形図に、キノコの姿を念じながら線を引いて、「キノコ採りの道」と名付け、その線上をシルバーコンパスを頼りに歩いてみる。
藪こぎしながら歩く、暗中模索の「キノコ採りの道」。
私のキノコ採りの方法である。

紅葉は終わりかけだが、雪を待つ森の雰囲気が、静かで心地良い。
キノコ採りもまた、ハイキングの方法なのだ。
森の宝を探し求めて歩くハイキング。

歩みを進める森の中に、湿った山肌や苔むした倒木が次から次へと現れる。
私のイメージは、大量のキノコの出現。
大量の収穫を夢見てドキドキしたが、結果はちょこっとの収穫。
ほんのご挨拶程度のサモダシと開きナメコが、本日の収穫。

そのご挨拶が、「まだ早いよ、来週からじゃんじゃん出るよ。」なのか。
「もう今年はこれでおしまい、また来年来なさいよ。」なのか。
修行の足りない私にはわからない。
キノコにはめぐまれなかったが、お天気はまあまあで、それなりに楽しく秋の森の中を散策できた。
今日お目にかかった食菌は、サモダシ(ナラタケ)・ナメコ・ムキタケ・クリタケ・ブナシメジ・カノカ(ブナハリタケ)の面々。

けっこう腐ったサモダシの株を見かけたから、先週一斉に顔をだしたのだろう。
それが今日は、一斉に息をひそめているようだ。
来週の一斉開花のための準備か、それとも、もう冬ごもりか。
キノコ採りはタイミング。
キノコ出現のタイミングを外すと、本日のようになる。

   「世の中に たえてキノコの無かりせば 秋の心はのどけからまし」

在原業平さんも、キノコ採りに夢中だったら、こう詠んだかもしれない。

たくさんのナメコの幼菌を見つけたら、もう仕事が手に付かない。
今日実際に見つけたのでは無く、もしそうだったらの話だが。
去年、そうだったのだ。
キノコ採りとしても、仕事人としても、まだまだだね。
未熟ということさ。

机上の方法は、机上の夢。
夢を追うキノコ採りは、暗中模索の山歩きも楽しい。
この暗中模索のなかに、何かがあるのかもしれない。
楽しい山歩き方法の発見とか。
私の行動パターンに対する反省とか。
頭のなかを去来する何か。
それはたぶん、生きる上で大切な何かだろう。
その何かと静かに向き合うのも、「キノコ採りの道」である。

この手探りの道には、キノコ以外の何かが潜んでいる。
失敗を重ねていくうちに、自分の姿が見えてくる。
ひどく気弱な自分だったり。
ひどく情けない自分だったり。
自分の浅ましさや狡さが見え隠れする。

キノコであれ仕事であれ、何かを探すとはそういうことなのだ。
「キノコ採りの道」は、案外自分再発見の道になっているのかも。

年老いて、だんだんと変化していく自分の姿が見え隠れする森のなか。
人生は、暗中模索のキノコ採りの道。
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