子どもの頃、西田佐知子さんの「アカシアの雨」の歌を聞いて「死」を連想した話
「アカシアの雨にうたれて このまま死んでしまいたい」
まだアカシアという木の名前を知らなかった子どもの頃の話。
その当時流行った、西田佐知子さんの「アカシアの雨がやむとき」という歌を聴いて、よくこう思った。
「アカシアの雨にうたれると死んでしまうのだな。
そう、当時の幼い私の認識では、アカシアとは木の名前ではなくて、殺人雨の呼び名だった。
そして得体の知れない殺人雨の存在にひどくおびえたものだった。
西田佐知子さんの暗く切なく悲しげな(当時の私はそう感じた)歌声を聴くたび、ああこの女の人も、やがてアカシアの殺人雨にうたれて本当に死んでしまうのだ、むしろそのことを求めている人なのだ、と思った。(あくまでも子どもの頃の印象です。今はそんな感じはまったくございません。)
だから、数多くの流行歌手達の中で、西田佐知子さんは私にとって「異風」な、どこか「暗い影」のつきまとう存在だった。
まだ直喩も暗喩も知らない、言葉をその印象のまま極端に直に受けとめる洟垂れのガキだったからね、あのころの私は。
今は、世の中の例え話に押し流されそうな洟垂れの爺になりつつあるよ、ホント人生の並木路だねぇ。
話はそれるが、なぜ「アカシアの雨」なのだろう。
プラタナスの雨でもマロニエの雨でも無いのは、「アカシアの雨」という「あ」の音の頭韻を踏む作詞上のテクニックに因るためではないだろうかと、今は、自分勝手にそう思っている。
韻を踏んで調子を整えた歌は、聴く者に心地良さをもたらす。
「アカシア」「雨」「朝」「あの人」、一番の歌詞の「あ」の音の頭韻を探してみた。
「死んでしまいたい」では「し」の音で頭韻を踏み、さらにこの「し」の音が「アカシア」という言葉の中にも含まれる。
そして、「夜が明ける日がのぼる」では「る」の音で脚韻が・・・・・おっと、これは「アカシア」とは関係ないか。
やはり、この歌には「アカシアの雨」がピッタリなのだ。
その頃の私は、アカシアもプラタナスもマロニエも知らなかった。
聞き慣れないカタカナ言葉のエキゾチックな響きは、私の日常の感覚を越えるものがあった。
「アカシア」、何か外国の恐ろしい毒薬のことではと、知恵足らずの子どもがそう思っても不思議ではない。
だから、「プラタナスの雨」であっても、「マロニエの雨」であっても、それが「死んでしまいたい」に続けば、プラタナスやマロニエを木の名前だと知らない私は、それらを雨に溶けて人を殺す恐ろしい毒薬だと思ったことだろう。
当時は、ビキニ環礁でのアメリカの水爆実験により被災したマグロ漁船「第五福竜丸」の事件なんかが起きて、空からやってくる「死」に対して敏感になっていた子どもの私は、「アカシア」も「死の灰」と同じ恐ろしいものに違いないと思っていた。
それが、年を経るとともに、「死の恐怖」の対象が、だんだん身近で具体的なもの、例えば病気とか交通事故とかになるに従って、「アカシアの雨」に対する恐怖の念は薄れていったように思う。
いっこうに目の前に現れない殺人雨に、見知らぬ世界の出来事なのだと恐怖を感じなくなっていったのだ。
アカシアが木の名前だと、いつ知ったかは覚えていない。
だが、アカシアというカタカナ言葉に、ずうっと違和感を感じ続けていたような気がする。
北原白秋の「この道」に「あかしや」というひらがな表示で出ていたが、教室でその唱歌を歌ったときは、どうだったろう・・・
アカシアという殺人雨のイメージが、アカシアという異国情緒な風に揺れる温帯の木のイメージに変わったのはいつの時だったか。
おそらく、死に対する恐怖感が、幼稚な幻想から日常の生活に肉迫する現実のものへと移って行ったとき、アカシアは風にそよぐ一本の木となって、愚鈍な少年の視界の片隅に現れたのだろう。
清岡卓行氏の「アカシヤの大連」という小説を知ったときには、もうその「白い花」のことも知っていた。
春から初夏にかけて、アカシアの「白い花」が咲いているのを見て、当時のほっそりとした西田佐知子さんの佇まいを思い出したものだが、この地方(青森)で房上に白い花を咲かせる「アカシア」は、どうやらニセアカシア(ハリエンジュ)と呼ばれている木の種類だと分かったのは最近のこと。
私は見た記憶が無いが、アカシアの花は黄色いらしい。
黄色い花だと、唱歌「この道」の「あかしや」に対するイメージがちょっと違ってくる。
たしか子どもの頃見た映画「いつか来た道」でウィーン少年合唱団が「この道」を歌っていたとき、その光景にオーバーラップして、白い花の木が映っていたような覚えがあるが、記憶違いだろうか。
でも、その映画を見たときは、木の名前だと知っていたのか知らなかったのか、なんとも確かな記憶では無いようで。
この道はいつか來た道、
ああ、さうだよ、
あかしやの花が咲いてる。 北原白秋「この道」より