雪降る冬の夜の孤独

冬は、生き物の活動を抑える季節。
爬虫類や両生類などの変温動物は仮死状態で冬眠する。
生活環境の気温変化に、自身の体温が従属してしまう変温動物は、低温環境では動きたくても動けない。
定温動物である熊などの、一部哺乳動物も意志的な行動停止状態で冬眠する。
私の不確かな生物学の知識では、「擬似冬眠」と言うらしい。

人間は、冬季でも意志的に活動する。
雪に閉ざされて、低温が続き、活動しにくい自然環境でも生産活動を続ける。
人間は、そういう社会の中で生きる動物である。

冬眠する熊に孤独感はあるのだろうか。
食糧が洞穴の中に満ちていれば、孤独感のような危機感は無いかもしれない。
熊には、安全か危険かの二大感覚しか無いのではないか。
楽しい、嬉しい、美味しいは、熊の安全感覚に属する。
寂しい、恐い、不快だ、空腹だは、危険感覚に属するように、私は空想している。

こういう風に考えると、穴の中で気持ちよく落ち着いて「冬眠」している熊の姿が思い浮かんで、癒される。

人間は空想することで、孤独にもなり、孤独感から癒されもするのだ。
冬の寒さは、人間の身体機能を不活発にし、自律神経を弱らせる。
昔の言葉に、「寒さは身の毒」というのがあった。
冬に活動しない熊は安全だが、冬に活動的になれない人間は孤独感に襲われるのではないだろうか。
人間は、様々な活動で寒さを克服してきた。

「宿かさぬ火影や雪の家つづき」

私の好きな与謝蕪村の句。
結局、蕪村はどこかの家に宿泊したのだろう。
「雪の家つづき」だから、この句の背景は、家並みの通りが想像出来る。

雪道に映っている火影を踏んで、「家つづき」の町なかを、宿泊を乞いながら彷徨い歩き、ついに一軒の家から承諾を得て泊めてもらうことになった。
蕪村は、温かい部屋の中でほっと安堵して、自身が彷徨い歩いた先ほどの光景を思い起こし、上の句を詠んだのかもしれない。

雪降る冬の孤独感の真っ最中では、こういう句はできない。
部屋の中で気持ちよく落ち着いた蕪村は、先ほどの孤独感を句に詠んで、自身の孤独感を癒したのだろう。

冬の孤独感が癒されて良かったなぁという思いが湧くから、私はこの句が好きである。

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