雑談散歩

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葉が出てきたシダレカツラ

シダレカツラの葉が出た
葉が出た今日のシダレカツラ。
平和公園のサンシュユの隣には、シダレカツラの小木が立っている。

シダレカツラといえば、岩手県盛岡市の「龍源寺のシダレカツラ」が有名だ。

国指定天然記念物となっている大木のシダレカツラで、樹高が21メートルもあるらしい。

推定樹齢は180年。

青森市の平和公園のシダレカツラも、あと100年も経ったら、こんな大木になるかもしれない。

しかし、100年後の世界のことなど想像したくもない。

自分の死後の世界よりも、今現在の日常の世界へ想像力を働かせたいからだ。

それが、現実を生き抜く方法でもある。

現実の日常生活に潜む、暮らし方や考え方のヒントを探して日々を生きることが、実際的に生きる方法だと、私は思っている。


今、私の目の前にあるシダレカツラは小木ではあるが、私の日常と同様、愛着を感じさせるには充分な存在だ。

この鼻の先の存在を感じる取ることが、生きるヒントにつながると信じている。

じっと見ているうちに、何かが解るということ。

その「教え」のようなものをもたらすのは、神でも宗教でもなく、平凡な日常の平凡な「言葉」なのである。

私たちは、この平凡な日常以外の場所では生きてはいない。

葉が出てきたシダレカツラは、100年後のために葉を出しているのではないだろう。

今、この一瞬のために、葉を出して自身の生命を快活なものにしているのだと思う。

快活な生命力とは、何かを解り続けていく力に違いない。

公園のシダレカツラは、何かを解り続けて命を延ばし、いつの日か大木になるのだろう。
シダレカツラの冬芽
まだ池に残雪がある3月31日のシダレカツラの冬芽。
シダレカツラのつぼみ
4月15日のシダレカツラ。つぼみがほころびかけている。
シダレカツラの花と出始めた葉
4月23日のシダレカツラ。花が開いて、葉も出始めている。
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