葉が出てきたシダレカツラ
葉が出た今日のシダレカツラ。 |
平和公園のサンシュユの隣には、シダレカツラの小木が立っている。
シダレカツラといえば、岩手県盛岡市の「龍源寺のシダレカツラ」が有名だ。
国指定天然記念物となっている大木のシダレカツラで、樹高が21メートルもあるらしい。
青森市の平和公園のシダレカツラも、あと100年も経ったら、こんな大木になるかもしれない。
しかし、100年後の世界のことなど想像したくもない。
自分の死後の世界よりも、今現在の日常の世界へ想像力を働かせたいからだ。
それが、現実を生き抜く方法でもある。
現実の日常生活に潜む、暮らし方や考え方のヒントを探して日々を生きることが、実際的に生きる方法だと、私は思っている。
今、私の目の前にあるシダレカツラは小木ではあるが、私の日常と同様、愛着を感じさせるには充分な存在だ。
この鼻の先の存在を感じる取ることが、生きるヒントにつながると信じている。
じっと見ているうちに、何かが解るということ。
その「教え」のようなものをもたらすのは、神でも宗教でもなく、平凡な日常の平凡な「言葉」なのである。
私たちは、この平凡な日常以外の場所では生きてはいない。
葉が出てきたシダレカツラは、100年後のために葉を出しているのではないだろう。
今、この一瞬のために、葉を出して自身の生命を快活なものにしているのだと思う。
快活な生命力とは、何かを解り続けていく力に違いない。
公園のシダレカツラは、何かを解り続けて命を延ばし、いつの日か大木になるのだろう。