芭蕉の遠近感「一家に遊女も寝たり萩と月」

萩
【萩の花】


「おくのほそ道」の途上、新潟から富山へ抜ける辺り、「親不知・子不知(おやしらず・こしらず)」などの北陸道最大の難所を越え、疲れ切ってたどり着いた「市振(いちぶり)の関」。
その宿に一泊したとき、芭蕉が詠んだ句とされている。

一家(ひとつや)に遊女も寝たり萩と月   

いろいろと話題になる句であり、いろいろな「解釈」が存在する句でもある。
その「解釈」の正誤が、また話題になったり。
ということは、多様なイメージを喚起させる句であるということではあるまいか。
そのキーワードとなっているのは「遊女」である。

この句が作られるにあたって、その元となったのは、芭蕉が「体験」したひとつの「物語」であった。
それが、この句の添え書きとして「おくのほそ道・市振(いちぶり)」に記されている。

宿で寝床についた芭蕉の耳に、一間隔てた部屋から、ふたりの若い女の声が聞こえてきた。
その女たちは、同行の年老いた男に、自分たちの身の上を嘆いた。
男は、「伊勢参宮」をするという二人の遊女を、この宿まで送ってきたのだった。
明日は新潟に引き返すという男に、遊女たちは手紙や言伝を頼んでいる様子。
芭蕉は、そんな話声を聞くともなしに聞いているうちに寝入ってしまった。

翌朝、遊女たちが、「道も不案内で女二人だけの旅なので心細い。」と芭蕉一行に同伴を願い出た。
見え隠れに距離をおいて、芭蕉一行の後をついて行きたいと、女たちは懇願した。
芭蕉は自分たちは寄り道の多い旅なのでと、それを断った。
この話を同行の「曾良(そら)」に語ったら、これを書きとめてくれたという。

だが、曾良の「随行日記」には、遊女のことは記載されていない。
曾良が書き漏らしたのか、この「物語」が芭蕉の創作だったのか。
それは定かではない。
いずれにせよ芭蕉にとって、この句を作る際に、この「物語」を欠くことはできなかったのだろう。

さて私が、この句に接して真っ先に思い浮かべたのは、この宿の屋根である。
煌々とした月の明かりに照らされている屋根。
夜の底で月明かりに反射して、暗い空に光を返している屋根である。
その屋根から下がった軒下には、萩の花。
月明かりに、細やかな萩の影が宿の障子に映っている。

ひとつ屋根の下で、たまたま旅の遊女と同宿した芭蕉。
その「体験」を、句に詠んだ。

芭蕉の思いは、遊女から萩の花へ、萩の花から月へと延びていく。
まるで、地上に湧いた感情が、月に吸い込まれていくように。
畳に横たわっている遊女の存在感が、萩と月を、芭蕉の旅の風情のなかに際立たせる。
そうして彼女たちも、秋の風景の一部として取り込まれていくようなイメージを感じる。

萩と月を呼応させている何か。
深い秋の気配が漂う中で、天体と地上の草をつなげているのは何か。
それは、旅の抒情である。
遠く江戸の日常から離れることで、思いもかけない情景に出合う。
芭蕉は、そんな抒情を、遊女にも感じようとしたのかも知れない。

その抒情を高めているのは、「遠近感」ではあるまいか。
遠近感とは、ものとものとの距離感覚のこと。
遠いものと身近なものとの存在感。

遊女は、その生業故、明日をも知れぬ身の上である。
芭蕉もまた、「古人も多く旅に死せるあり」という思いで「おくのほそ道」の旅に出発したのだから、先の知れぬ身の上なのである。
旅の感傷が、萩のそばにそんな身の上を置き、それを秋の月で照らしたのだろう。

芭蕉の遠近感は、遊女の向こうに萩、萩の向こうに月を配している。
と同時に、月から宿の屋根、屋根から軒下の萩、萩から障子の中の遊女を映している芭蕉のカメラワークを私は感じる。
芭蕉の様々な視点と、それに伴う遠近感。
それが、この句を、不思議な情景画としてイメージさせているのかもしれない。

広く暗い空の、遠くで輝いている月は侘しい。
この先の未知の人生を感じさせるようで、恐ろしくもある。
それを芭蕉は、遊女と言う侘しい存在感と共有しようとしたのだろうか。
遊女も芭蕉も、居所のない浮世を漂泊する流浪の民なのだ。
そんな人生を、月が照らし萩の花が飾っている。

芭蕉の遠近感は、遊女や萩や月を旅の風景に配して、そのどこかに自身の旅の居場所を探してでもいるようである。


月
【月】


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