雑談散歩

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公園の木立と冬空の写真

冬木立と冬空
冬木立と冬空。


冬木立とは、冬の樹木が林立している様子を表している言葉だという。

常緑樹であっても、冬期の樹木は冬木立になるらしいが、枯葉が散って、裸の枝を空に突き出した落葉樹の方が、冬木立という言葉を一層ものさびしく感じさせる。

緑の葉を失った冬の木は、黒々としている。

空が晴れて陽が差し込んでも、曇りの日でも、吹雪の時も、冬木立の幹は黒一色。
白い雪が、モノクロームの世界を現出させている。

本当は、色彩豊かな世界なのに、モノクロームに見えてしまうのはなぜか?
それは、「雪はなぜ白く見えるのか」という事と関連が有りそうだが・・・。


久しぶりに青空が広がったので、犬の散歩の途中の公園で、空の写真を撮ってみた。
公園の木立を写真の下の方に入れると、冬木立が空に手を振っているように見える。

さらに、空の写真の下に家の屋根を入れると、冬の空に人々の生活感が滲み出てくるだろう。
人の生活感は想像できるが、樹木の冬の生活感は見当がつかない。

八甲田山の高山帯で樹氷を形作るアオモリトドマツは、厳冬期は枝・葉とも凍結した状態で越冬しているという。
八甲田山の森林限界に成育するハイマツも同様である。
高山帯の樹木の生活感は、凍結の一語に尽きる。

それに比べると、青森市内の公園の樹木の生活感は、もうちょっと緩いものになるだろう。
すぐそばで人間が生活している環境の中では、公園の木立の生活感にも色どりがありそうだ。
木の枝が、好天の冬空に手を振って応えるとか。

そんな雰囲気の写真は、素人の私には、なかなか撮れない。
が、公園の木立の生活感は、なんとなく感じとれる。

犬の公園散歩で、観察眼が、多少は鍛えられているのだろうか。
何度も行き会って、公園の木々と馴染みになっているからだろうか。

 斧入れて香におどろくや冬木立  与謝蕪村


冬の雲
木立の上の冬の雲。

冬の青空
冬の空は、雲と青空のせめぎ合い。
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