自分は「高所恐怖症」だという女

高い場所が恐い女
居酒屋で隣り合わせた若い女がマスターと談笑している。
何かの話の拍子に、その女性は「私は高所恐怖症だから・・・」と言った。
へぇ、これはめずらしい。
男は、高所恐怖症の病気の人を見るのは初めてだ。
「高所恐怖症」はよく聞くことが多いが、実際に高所恐怖症を患っている人を見たことはない。
彼は興味がわいたので、話に割り込んだ。
初対面なので、鄭重に。

「失礼ですが、ちょっとお尋ねしても良いですか。」
「あら、何かしら」
若い女性は、男の方を向いて微笑みかけた。
「その、高所恐怖症だとお聞きしましたが・・・・」
「ええ、とってもそうなのよ、昔から、高いところが怖くてねぇ」
満面の微笑み。
「それは、大変ですね。ところで高所恐怖症って、診療科はどこへいくんです?精神科、脳神経外科ですかね。」
「え?」
若い女性は、質問の意味がよくわからないらしい。
微笑みが消えて、顔の表情が曇りかけた。
晴れ、のち曇り。

「その、治療は投薬ですか、運動療法とかもあるんですか」
「いえ、そういうんじゃないんです、私はただ高いところが苦手で・・・それで高所恐怖症って言ってるんですが。」
「ああ、じゃ医師の診察を受けて、高所恐怖症という病気だって言われた訳ではないんですね。」
「そうなの、高いところが苦手だから、高所恐怖症って言うのは普通でしょう」
女性の顔に不愉快感が走った。
「普通とおっしゃってもねぇ、高いところが苦手な人はいっぱいいるけど、普通そういう人達を高所恐怖症だって言わないですよね。」
「あなたは、2階の窓際に立ったとき恐怖を感じますか?」と男。
「足がすくんだり、震えがきたり、腰が抜けて動けなくなったり、もしかしたら小便もらしたり、胸が苦しくなったりしますか?」と男。
「高所恐怖症というのは、ビルの中の窓際に立ったときなどに、そういうパニックみたいな症状が出る人のことを言うんですが、あなたはそういうんじゃないのですね。」と男。

「ちょっとオジサン、何言ってるの!わたしは、そんな変な病気じゃないわ。」
と若い女性の嫌悪感はあからさま。
「私はフツウの感覚でものを言ってるのよ。フツウはこれでフツウなの。おじさんのほうがフツウじゃないのよ、ちょっとおかしいのよ。」
女性の語調が攻撃っぽい。
曇りのち強風。

自分は「高所恐怖症」だと宣言したくせに、「高所恐怖症」の生々しい症状を告げると、「高所恐怖症」のことを変な病気呼ばわり。
自己宣言して自己を規定することが癖になっている人は、自身の価値観で他人や日常の物事をも規定してしまう。
「まあ、まあ、楽しく飲んでよ、それにおじさんもあんまりつっかかんないでよ」
マスターが声をかけてきた。
「そうよ、つっかかんないでよ、関係ないでしょ。」
ついに女性はそっぽを向いた。
「それはすまなかった。てっきり私はおたくが本物の『高所恐怖症』かと思ったもので、ついつい立ち入ったものの言い方をしてしまいました。」
「ようするに、あなたは偽物の『高所恐怖症』な訳ですね。ふむふむ、それがフツウというものなんですね。」と男。

「じゃぁ、フツウの感覚で言うとあなたは、『虚言症』なんですね」と男。
「なによー、それはー」と強風の女性。
「つまり、私は『高所恐怖症』であると騙って、同情と関心をひこうとしている。」と男。
「まあまあ、おじさん、そのへんにしたら。」とマスター。
「そう言うおじさんは、何症なの?」とマスター。
「私かね、私は細かいことにくよくよしている『貧乏性』さ。」と男。
「ふむふむ、わかるわかる。」とマスター。
「で、マスターも何か病気を持ってるの?」と男。
「『金欠病』、もうかなり重傷ね。」とマスター。
「なんだ、みんな病気持ちだね。」と男。
「私は、病気なんかじゃないわよ!」と「高所恐怖症」を騙る女性は泣き出してしまった。
強風、のち大雨。

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