堤と尾根と遠い家「春風や堤長うして家遠し」
与謝蕪村
残雪の山の尾根を歩いているとき、よくこの句が思い浮かぶ。
春の風に吹かれて、独りで長い尾根をスキーで登ったり下ったりしていると、ふとこの句が頭をよぎる。
尾根は、昔歩いた堤の道のように長い。
その長さが懐かしい。
小学校への行き帰りは堤防の道を利用した。
残雪の尾根を歩いていて郷愁感がわくのは、尾根の雰囲気が、昔歩いた堤防の道に似ているからかもしれない。
道のような尾根の両側にはダケカンバの木が立っている。
堤防の道の両側には、木が生えてなかったが、堤防の下の川原が林になっていたり。
その林の木々が、春風にそよいで、子ども心をうきうきさせた。
新緑の木の葉の擦れる音が、人のささやき声に聞こえたりもした。
どこかで、誰かに呼ばれているような錯覚。
呼んでいる誰かは、遠い家の中にいる。
残雪の尾根は、昔歩いた堤防の道の延長。
もしそうなら、今こうしてスキーで歩いているのは、心をうきうきさせている小学生そのもの。
遊びに夢中になっている小学生にとって、家は遠い。
遊び疲れて、家は、なお遠い。
そうして、いつの間にか家から遠く離れてしまった。
そんな家へ帰ろうとしているのかもしれない。
リュックに弁当を詰めてはるばるやってきた。
誰もいないガランとした家へ。
その家は、過去へ通じる長い堤のように春風に吹かれている。
そこからまた、尾根の向こうにある、家のようなものを目指して歩いてみる。
誰かに会おうとして、誰にも会わない終わりのない旅。
もともと旅に終わりも始まりもない。
心のどこかに、遠くかすんだ懐かしの家があるだけ。
春風や 堤長うして 家遠し
春の風に吹かれて、独りで長い尾根をスキーで登ったり下ったりしていると、ふとこの句が頭をよぎる。
尾根は、昔歩いた堤の道のように長い。
その長さが懐かしい。
小学校への行き帰りは堤防の道を利用した。
残雪の尾根を歩いていて郷愁感がわくのは、尾根の雰囲気が、昔歩いた堤防の道に似ているからかもしれない。
道のような尾根の両側にはダケカンバの木が立っている。
堤防の道の両側には、木が生えてなかったが、堤防の下の川原が林になっていたり。
その林の木々が、春風にそよいで、子ども心をうきうきさせた。
新緑の木の葉の擦れる音が、人のささやき声に聞こえたりもした。
どこかで、誰かに呼ばれているような錯覚。
呼んでいる誰かは、遠い家の中にいる。
もしそうなら、今こうしてスキーで歩いているのは、心をうきうきさせている小学生そのもの。
遊びに夢中になっている小学生にとって、家は遠い。
遊び疲れて、家は、なお遠い。
そうして、いつの間にか家から遠く離れてしまった。
そんな家へ帰ろうとしているのかもしれない。
リュックに弁当を詰めてはるばるやってきた。
誰もいないガランとした家へ。
その家は、過去へ通じる長い堤のように春風に吹かれている。
そこからまた、尾根の向こうにある、家のようなものを目指して歩いてみる。
誰かに会おうとして、誰にも会わない終わりのない旅。
もともと旅に終わりも始まりもない。
心のどこかに、遠くかすんだ懐かしの家があるだけ。
春風や 堤長うして 家遠し
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