川沿いに暮らす人の意識と、川から離れた場所で生活する人の意識

初冬の堤川。
初冬の大雪は峠を越えた。
家から離れた川沿いの道へ、犬と朝の散歩。
途上、この前のドカ雪の名残がそこかしこに。

まだ冬の初め。
気温が上がれば融けて消えるだろうという、安楽な見込みがそこかしこに。

消えそうで、なかなか消えない。
そのうちまたドカ雪、というのが現実的な見通し。

曇り空の川景色。
川面は穏やかに空模様を映している。
水が濁って、どんよりと暗い。
これからやってくるドカ雪の空を映しているような・・・とは、考え過ぎか。

時折、青空が見えて。
川沿いの空間を一種独特と感じるのは、川の近くに暮らしていないから。
川端で暮らしていれば、川のことが頻繁に意識に上る。

(1)水の澄み具合はどうだろう。
(2)水がいつもより多いか少ないか。
(3)流れが緩いか急か。
(4)鴨や鵜や白鳥が、来ていないだろうか。
(5)どういう魚がいるのだろうか。
(6)上流から何かが流れ着いていないだろうか。
(7)川底には何があるのだろう。

これらはみな、川沿いに住む人の意識。
川から離れた場所で生活している者は、そんなことは考えない。
たまに川辺に散歩にやってきて、上記(1)から(7)のどれかが思い浮かぶかもしれない。
あるいは、何も思わないかもしれない。

川そのものよりも、自分が歩いている場所のことを、「川辺と言ったら良いのか、川端といったら良いのか」と思案したり。
川岸か、川縁か、などと思いつくまま言葉を掲げて、自身が立っている「陸」を位置決めしようとする。

川沿いに住む人の関心は、もっぱら川の事に向けられる。
項目(7)以上の関心事が、たくさん存在することだろう。

川沿いの空間を一種独特と感じた散歩人。
気まぐれな散歩人は、家に帰り着く頃、もう川のことを忘れている。

でも、じっと川を眺めていると、川そのものの存在が感じられる。
人の意識なんか関係ないさという、川の形をした水の存在感。

散歩人の頭の中で、その存在感はいつまでも消えない。

川に薄い陽の光。

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