芭蕉が誘導する空間「月ぞしるべこなたへ入(いら)せ旅の宿」
満月。 |
夢を見た。
満月は煌々と山の中を照らし続けていたが、道標を見失い、道に迷ってしまった。
日が暮れてだいぶ経つ。
そろそろ宿に着かなければならない時刻。
樹間に宿屋の灯りでも見えれば良いのだが。
いや、こんな山の中に宿屋なんかがあるのだろうか・・・・。
と思案しているところで目が覚めた。
時刻は5時を過ぎたばかり。
まだ起きるには早すぎる。
そこで、布団の中で夢の続きを空想してみた。
私の不安は高まる一方。
こわごわ歩いていると、前方に狐が座っているのが見えた。
月の光に照らされて、こんがり狐色。
なんてことは無いのだが・・・・。
宿の廊下。 |
その狐が何か吟じている。
俳句のようだ。
狐が句を詠んでいる。
月ぞしるべこなたへ入(いら)せ旅の宿
狐が招くその向こうには、両袖の大提灯もあかあかと、宿屋の入口が控えている。
月の光が入口の奥の廊下まで射し込んでいて、部屋の障子戸も見える。
空想は、松尾芭蕉の俳諧の世界へ飛び。
その世界から、私の日常にかえってくる。
その世界から、私の日常にかえってくる。
この句で感じた私のイメージはこんなもの。
月を導(しるべ)にしてみえたのでしょう、こちらへどうぞ、ここがあなたの旅の宿ですよ。
と、山の狐が句を詠んでいる図。
この句は芭蕉が21歳の時、刊行された俳諧撰集「佐夜中山集(さよのなかやましゅう)」に、はじめて掲載されたものだという。
そのころは、松尾宗房(むねふさ)と名乗っていたらしい。
謡曲「鞍馬天狗」の「奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる。こなたへ入らせ給へや」という詞章を材料に作られたとされている。
有名な謡曲の語呂合わせで句を作る。
意味や語の音韻から連想する言葉を、自身の句に関連付ける。
など、言葉遊びの要素の多い句が、当時の流行であったらしい。
だが、そういう前知識(句が作られた背景)を抜きにしても、独立した句として、いろいろなイメージが伝わってくる。
私が受けたイメージのひとつが、前述したメルヘン的な旅情。
芭蕉は21歳の時に、すでに、自分が旅人として生きることを感じていたのだろうか。
旅人である芭蕉が月を道しるべにして、何かに案内されるように宿に導かれていくというイメージ。
一方、角度を変えてみれば、もうひとつのイメージが思い浮かぶ。
それは芭蕉が、同行者である旅人を案内している図。
月がこの旅の宿への道しるべですよ、さあこちらへ入りましょう。
というイメージ。
芭蕉は、旅の同行者を宿へ案内していると同時に、この句を読む私たちをも芭蕉の旅の宿へ案内している。
天には月、地には宿、宿の入口、宿の廊下という配置。
いわば、天と地の「対比効果」。
天の月が、地上の「旅の宿」の存在感を際立たせている。
天と地の広がりのある空間を感覚させ、宿の入口や廊下、部屋の戸をその感覚に現出(空想)させて、句を読むものを旅の宿に導いているのだ。
月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿
松尾芭蕉。
読者を巧みに芭蕉世界へ誘導する芭蕉の技法が感じられる句であると思う。
月を導(しるべ)にしてみえたのでしょう、こちらへどうぞ、ここがあなたの旅の宿ですよ。
と、山の狐が句を詠んでいる図。
この句は芭蕉が21歳の時、刊行された俳諧撰集「佐夜中山集(さよのなかやましゅう)」に、はじめて掲載されたものだという。
そのころは、松尾宗房(むねふさ)と名乗っていたらしい。
謡曲「鞍馬天狗」の「奥は鞍馬の山道の花ぞしるべなる。こなたへ入らせ給へや」という詞章を材料に作られたとされている。
有名な謡曲の語呂合わせで句を作る。
意味や語の音韻から連想する言葉を、自身の句に関連付ける。
など、言葉遊びの要素の多い句が、当時の流行であったらしい。
だが、そういう前知識(句が作られた背景)を抜きにしても、独立した句として、いろいろなイメージが伝わってくる。
私が受けたイメージのひとつが、前述したメルヘン的な旅情。
芭蕉は21歳の時に、すでに、自分が旅人として生きることを感じていたのだろうか。
旅人である芭蕉が月を道しるべにして、何かに案内されるように宿に導かれていくというイメージ。
一方、角度を変えてみれば、もうひとつのイメージが思い浮かぶ。
それは芭蕉が、同行者である旅人を案内している図。
月がこの旅の宿への道しるべですよ、さあこちらへ入りましょう。
というイメージ。
芭蕉は、旅の同行者を宿へ案内していると同時に、この句を読む私たちをも芭蕉の旅の宿へ案内している。
天には月、地には宿、宿の入口、宿の廊下という配置。
いわば、天と地の「対比効果」。
天の月が、地上の「旅の宿」の存在感を際立たせている。
天と地の広がりのある空間を感覚させ、宿の入口や廊下、部屋の戸をその感覚に現出(空想)させて、句を読むものを旅の宿に導いているのだ。
月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿
松尾芭蕉。
読者を巧みに芭蕉世界へ誘導する芭蕉の技法が感じられる句であると思う。
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