「なぜ」で始まるタイトルのブログ記事に、なぜアクセスが集まるのか?
『「なぜ」で始まるタイトルのブログ記事に、なぜアクセスが集まるのか?』と書いたが、それは事実だろうか?
「なぜ」で始まるタイトルのブログ記事を書けば、本当にアクセスが集まるのだろうか?
当ブログにも「なぜ」で始まるタイトルの記事や、「何々は、なぜ、何々なのか」的な記事がいくつかある。
では、それらのアクセス状況はどうなのか。
表示回数(プレビュー数)の多い順にピックアップすると、その記事は以下のようになる。
「冬の雀は、なぜ太って見えるのか」
などなど。
なるほど、どの記事もそこそこのプレビュー数を持っている。
でも、それは「そこそこの」であって、「絶大な」では無い。
「なぜ」は、国語では「陳述の副詞」に分類されている。
「何かを疑問に思っているような態度」や、「何かに疑問を感じている気持ち」を表わすときに使う。
「なぜ」は、後にくる言葉と呼応して使われるから、「呼応の副詞」とも言われているという。
「なぜ」と似たような使い方をする言葉に、「どうして」と「どうやって」がある。
「どうして」は、目の前の現実に対して、否定的な疑問を訴えるときに使われることが多い。
「こうなるはずだったのに、どうしてこうなっちゃったの?」というような。
「どうやって」は方法的な疑問を感じたときに使われることが多い。
「カギがかかっているのに、どうやって中に入ったの?」というような。
「どうして」も「どうやって」も具体的な解答を得ようとして発せられる。
これらと比べて「なぜ」は、もっと根源的な疑問の言葉だ。
私たちの日常を揺るがしかねない、鋭い疑問が内在している問いかけ。
雑談している時には、あまり登場しない。
激しい論争時に、繰り返し現れるような追及的な疑問。
それが「なぜ」独特のスタイルなのではあるまいか。
その点、「なぜ」で始まるタイトルの、私のブログ記事の内容は、あまり根源的では無い。
「なぜ」を「どうして」に置き換えても、別段かまわないような。
「なぜ」という言葉の、切っ先の鋭さだけを拝借しているようなタイトル付け。
これでは、「そこそこの」アクセスしか得られない。
では、「なぜ」を使ったどういうタイトル付けが、「絶大な」アクセスを得るのだろう。
私なりのアイデアを出してみると。
「なぜ、汚くて金も無いブサイクな男が、女にモテルのか?」
てな感じ。
これには、たくさんの異論が出る。
反感が舞い飛ぶ。
でも、異論や反感は、関心や興味の裏返し。
「どうして」は、目の前の現実に対して、否定的な疑問を訴えるときに使われることが多い。
「こうなるはずだったのに、どうしてこうなっちゃったの?」というような。
「どうやって」は方法的な疑問を感じたときに使われることが多い。
「カギがかかっているのに、どうやって中に入ったの?」というような。
「どうして」も「どうやって」も具体的な解答を得ようとして発せられる。
これらと比べて「なぜ」は、もっと根源的な疑問の言葉だ。
私たちの日常を揺るがしかねない、鋭い疑問が内在している問いかけ。
雑談している時には、あまり登場しない。
激しい論争時に、繰り返し現れるような追及的な疑問。
それが「なぜ」独特のスタイルなのではあるまいか。
その点、「なぜ」で始まるタイトルの、私のブログ記事の内容は、あまり根源的では無い。
「なぜ」を「どうして」に置き換えても、別段かまわないような。
「なぜ」という言葉の、切っ先の鋭さだけを拝借しているようなタイトル付け。
これでは、「そこそこの」アクセスしか得られない。
では、「なぜ」を使ったどういうタイトル付けが、「絶大な」アクセスを得るのだろう。
私なりのアイデアを出してみると。
「なぜ、汚くて金も無いブサイクな男が、女にモテルのか?」
てな感じ。
これには、たくさんの異論が出る。
反感が舞い飛ぶ。
でも、異論や反感は、関心や興味の裏返し。
異性に対する興味や好奇心は、今の時代でも、多くの人たちが抱いている「パッション」のようなもの。
そういう「パッション」に動かされて多くの男達が、このブログ記事を読もうとする。
女性たちも、「えっ、そんな男、いるの-?チョー不気味」みたいな興味ごころで、このブログ記事を読もうとする。
あり得ない事が、現実に起こることに対する関心(好奇心)は、絶大である。
そういう訳で、このタイトルのブログ記事は、絶大なアクセスを得る。
いわゆる、バズる。
これが、『「なぜ」で始まるタイトルのブログ記事に、なぜアクセスが集まるのか?』の解答。
ただ、私には、こういう経験が無いので、「なぜ、汚くて金も無いブサイクな男が、女にモテルのか?」というタイトルのブログ記事は書けない。
残念ながら、そういう事例も知らないので、「なぜ、汚くて金も無いブサイクな男が、女にモテルのか?」というバズる記事は書けないでいるのだ。
あり得ない事が、現実に起こることに対する関心(好奇心)は、絶大である。
そういう訳で、このタイトルのブログ記事は、絶大なアクセスを得る。
いわゆる、バズる。
これが、『「なぜ」で始まるタイトルのブログ記事に、なぜアクセスが集まるのか?』の解答。
ただ、私には、こういう経験が無いので、「なぜ、汚くて金も無いブサイクな男が、女にモテルのか?」というタイトルのブログ記事は書けない。
残念ながら、そういう事例も知らないので、「なぜ、汚くて金も無いブサイクな男が、女にモテルのか?」というバズる記事は書けないでいるのだ。