芭蕉の庶民感覚「きてもみよ甚べが羽織花ごろも」
きてもみよ甚(じん)べが羽織(はをり)花ごろも
松尾芭蕉
この句は、まだ宗房と名乗っていた芭蕉の、28歳頃の作と言われている。
俳諧集「貝おほひ」に宗房(芭蕉)が載せた句である。
「貝おほひ」は芭蕉の処女出版物。
芭蕉生前中、自署して自著として刊行した唯一の出版物であるとか。
伊賀上野の俳諧師達の「句合せ」の書である。
「句合(くあわ)せ」とは、参加者が左右に分かれて句を作り、その優劣を競い合うこと。
句に出ている「甚べが羽織」とは「甚平羽織(甚兵衛羽織)」のこと。
甚平羽織の元は、戦国時代の武士が出陣の際に羽織る袖無しの「陣羽織」だと言われている。
農民出身の兵士や下級武士が羽織るものは「陣兵羽織」と呼ばれ、木綿で作られていたらしい。
その「陣兵羽織」が、庶民の日常生活に普及した。
戦のない時代に入って、「陣兵羽織」が平和な「甚平羽織」となり、略して「甚平」と呼ばれるようになったという。
戦のない時代に入って、「陣兵羽織」が平和な「甚平羽織」となり、略して「甚平」と呼ばれるようになったという。
当時、庶民の男性の名前として「甚平」は、かなり多くの人々に愛用されていたのではなかろうか。
それだけに、それを衣類の呼び名(愛称)として使うのは、「甚平」に対する愛着のせいなのだろう。
句では甚平を縮めて、ニックネーム的に「甚べ」としている。
「甚べ」とは個人の名前ではなく、庶民男子一般を表わす言葉としての「甚べ」とも思える。
宗房(芭蕉)は、庶民が花見で着る衣装について、面白おかしく句にしているのだろう。
ちなみに、「花ごろも」とは花見に着る衣装のこと。
庶民生活そのものを面白おかしく描くことによって、当時の人々の暮らしをクローズアップしているようにも思える。
「うかれける人や初瀬の山桜」の句が、空から眺めた絵巻であるとしたら、「きてもみよ甚べが羽織花ごろも」の句は「庶民戯画」。
以上のようなことをいろいろ考えながらこの句を読むと、湧いてくるイメージは以下のようなものである。
「甚べ」は庶民男子の代表的なイメージ。
「甚べが羽織」→「甚平羽織」→「甚平」は庶民の代表的な普段着(あるいは仕事着)。
「花」は、庶民の代表的な娯楽である「花見」
それぞれの代表的なものを巧みに組み合わせて句にした。
句の調子も軽快である。
それによって、粗末な甚平を羽織って花見に出かける庶民の姿が思い浮かぶ仕上がりになっている。
「花ごろも」に何も着るものがなければ、「甚平」で良いじゃないか。
「甚平」を着て花見に来てよ。
というイメージ。
そうやって、人々が誘い合いながら花見に出かけたのだろう。
その様子が目にう浮かぶようである。
庶民生活の代表的なイメージをピックアップする。
それは、若き日の芭蕉の方法のように思える。
この象徴的なものをクローズアップする方法が、後の空間的な広がりのある俳諧に発展していったのだろう。
「甚べ」とは個人の名前ではなく、庶民男子一般を表わす言葉としての「甚べ」とも思える。
宗房(芭蕉)は、庶民が花見で着る衣装について、面白おかしく句にしているのだろう。
ちなみに、「花ごろも」とは花見に着る衣装のこと。
庶民生活そのものを面白おかしく描くことによって、当時の人々の暮らしをクローズアップしているようにも思える。
「うかれける人や初瀬の山桜」の句が、空から眺めた絵巻であるとしたら、「きてもみよ甚べが羽織花ごろも」の句は「庶民戯画」。
以上のようなことをいろいろ考えながらこの句を読むと、湧いてくるイメージは以下のようなものである。
「甚べ」は庶民男子の代表的なイメージ。
「甚べが羽織」→「甚平羽織」→「甚平」は庶民の代表的な普段着(あるいは仕事着)。
「花」は、庶民の代表的な娯楽である「花見」
それぞれの代表的なものを巧みに組み合わせて句にした。
句の調子も軽快である。
それによって、粗末な甚平を羽織って花見に出かける庶民の姿が思い浮かぶ仕上がりになっている。
「花ごろも」に何も着るものがなければ、「甚平」で良いじゃないか。
「甚平」を着て花見に来てよ。
というイメージ。
そうやって、人々が誘い合いながら花見に出かけたのだろう。
その様子が目にう浮かぶようである。
庶民生活の代表的なイメージをピックアップする。
それは、若き日の芭蕉の方法のように思える。
この象徴的なものをクローズアップする方法が、後の空間的な広がりのある俳諧に発展していったのだろう。
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