雑談散歩

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森の遊歩道で桑の実を見つけた

まだ赤い桑の実。


青森市郊外の森の遊歩道を散歩していたら、桑の実を見つけた。
まだ赤いままで、熟していない。

桑の実を見るのは、久しぶり。
子どもの頃、田んぼ端に背の低い桑の木が2~3本あって、時期になると黒く熟した実を食べたものだった。

そういえばあの頃の桑の実は、写真のより粒が大きくて、木の枝にもっと密になっていたような気がする。
葉も2裂していて、これが桑の葉であると覚えたような。

しかし、写真の桑の葉は広卵形。

ちょっと寂しい実のつき方。

 調べてみると、桑の葉の形は、養蚕(ようさん)と密接に関係しているらしい。

桑の葉は、いろいろな形をしている。
それは長い養蚕の歴史のなかで、品種の改良や交配が行われたことが原因であるとのこと。
一本の木にも様々な形の葉がついているものもあるという。

それでは、本来の桑の葉はどんなものだったのか。
山桑と呼ばれている桑の葉にも2裂した葉や広卵形のものがあるという。

明治時代の日本の近代化や富国強兵政策の礎を築いたのが、養蚕業で産出される生糸の輸出による外貨獲得であったと言われている。
それほど盛んに行われていた養蚕業であるから、桑の葉の品種改良も盛んに行われていたに違いない。

桑の花は風媒花。
山桑と言えども、里の桑畑の種との自然交雑から免れ得たとは思われない。

天然の桑の純血種が、今もどこかでひっそりと生きているのかどうか。
それは知る由も無い。

桑の葉と実。

 青森県企画政策部政策調整課が発行しているメルマガあおもりVOL139に次のような記事があった。
「三内丸山遺跡からはエゾニワトコ を中心に、サルナシ・クワ・キイチゴの種子がまとまって多量に出土しています。」

三内丸山の縄文人も熟した桑の実を食べていたのかもしれない。
桑の実で果実酒を作っていた可能性もあるとのこと。
その頃の桑の葉は、どいういう形をしていたのだろう。

森の遊歩道で桑の実を見つけ、葉のことを考えていると、想いが縄文時代に飛んだ。

葉よりも、桑の実の形が縄文的なイメージを持っているようにも思える。
桑の実の質素な外観が、そう思わせるのか・・・・。

桑の葉。
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