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「門を出ればわれも行人秋のくれ」与謝蕪村

2018/04/07
この地方の秋も深まってきた。

一昨日のニュースでは、北海道の大雪山系旭岳で本格的に雪が積もりだしたという。
となれば、青森の八甲田山に雪が積もるのも、あと4週間後ぐらいだろうか。

雪の便りを聞くと、秋の深まりを感じる。
秋の深まりを感じると、旅情に駆られる方も少なくないのでは。


門を出(いず)ればわれも行人(ゆくひと)秋のくれ
与謝蕪村

秋の夕暮れに、何かの用で門の外へ出ると、ススキが風になびいている。
遠くの山々が、夕焼けに濃い影を落としている。
ふらりと外へ出た蕪村の前に、ひと筋の道が続いていた。

遠い場所が、意外と近く見えるのも秋景色の特徴。
遠い山裾の道を旅人が歩いているのが見えそうなくらいである。

門から一歩外へ出たとき、蕪村は旅情に駆られた。
暮れていく秋景色を眺めながら「ああ・・・」と溜息をついた。

芭蕉の句を思い出したのだ。

比道(このみち)や行人なしに秋の暮れ
松尾芭蕉

大阪に滞在中の、松尾芭蕉の晩年の句とされている。
この句を作った16日後に、芭蕉は亡くなった。
亡くなる4日前に、有名な病中吟を遺している。

旅に病んで夢は枯野をかけ廻る
松尾芭蕉

蕪村は、つぶやくようにぽつりと句を吐いた。
「門を出ればわれも行人秋のくれ」

門から外へ出れば、私も芭蕉のように旅の道を歩いているのだ。
蕪村は、そう思ったのかもしれない。
いや、そう感じようとしたのだろう。
そして、秋の風景のなかへ溶け込もうとした。

芭蕉は旅を住処とし、自身の俳諧の道を住処としたのだった。
そして、誰も行かない道を歩いて行った。

蕪村には、妻子とともに暮らす住処があった。
芭蕉のように旅に出ることは、蕪村の生き方ではなかった。

それは、蕪村の溜息。
だから、溜息を吐くように句をもらした。

「門を出ればわれも行人秋のくれ」

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