「朝がほや一輪深き淵の色」与謝蕪村
アサガオは夏の季語だと思っていたが、実は秋だった。
多数の花のなかで一輪だけ蕪村の気になる花があった。
それが何であるかは、私たちはこの句から推測することはできない。
私たちは、何度もこの句を読み返す。
アサガオの花は、現代の新暦だと、咲く時期は夏である。
季語の素となっている旧暦の二十四節季に照らすと、8月7日頃が立秋となっている。
そのため、アサガオの花の最盛期である8月は秋に分類される。
というわけで「朝がほ」は秋の季語となっている。
アサガオの花の色は紫系や青系が多い。
蕪村が見たアサガオは、濃い藍色の花だったのではあるまいか。
濃い藍色は「淵の色」をイメージさせる。
その深淵を覗いた蕪村の句である。
朝がほや一輪深き淵の色
与謝蕪村アサガオの花の色は紫系や青系が多い。
蕪村が見たアサガオは、濃い藍色の花だったのではあるまいか。
濃い藍色は「淵の色」をイメージさせる。
その深淵を覗いた蕪村の句である。
朝がほや一輪深き淵の色
多数の花のなかで一輪だけ蕪村の気になる花があった。
大きく開いた円錐形の花を覗き込んだ蕪村は、その「淵の色」に何を見たのだろう。
それが何であるかは、私たちはこの句から推測することはできない。
ただ何かを見たということだけは、この句を読む者に、蕪村の感情として伝わってくる。
蕪村は何を見たのだろう。
私たちは、何度もこの句を読み返す。
季節が繰り返し訪れるように、蕪村の感情が、私たちに繰り返し訪れる。
そうして読んでいるうちに、私たちは時間を遡って、蕪村の背後に立つようになる。
蕪村の背後から蕪村と一緒に、濃い藍色の花を眺めているのだ。
そのことに蕪村は気づいている。
遠い未来から、何人もの読者がやってきて、自身の背後で同じものを見ていると蕪村は感じている。
背後の視線を感じながら、蕪村はつぶやく。
「ほらこの色をよく見ろよ、なんという深い色なのだろう。まるで・・・のようだ。」
私たちは、蕪村の後ろに居ながら、この「・・・」が聞き取れない。
何だったのだろうと何度もアサガオの花を覗き込んでいる私たちを尻目に、蕪村は通り過ぎてしまう。
後には「朝がほや一輪深き淵の色」という句そのままの「朝がほ」が残っているだけである。
その「深き淵の色」のなんという存在感だろう。
蕪村が消え、私たちが消えても、この「深き淵の色」の「朝がほ」は、永遠に存在し続けるのではあるまいか。
おそらく、そういうものを蕪村は見たのだろう。
<関連記事>
蕪村しみじみ
背後の視線を感じながら、蕪村はつぶやく。
「ほらこの色をよく見ろよ、なんという深い色なのだろう。まるで・・・のようだ。」
私たちは、蕪村の後ろに居ながら、この「・・・」が聞き取れない。
何だったのだろうと何度もアサガオの花を覗き込んでいる私たちを尻目に、蕪村は通り過ぎてしまう。
その「深き淵の色」のなんという存在感だろう。
蕪村が消え、私たちが消えても、この「深き淵の色」の「朝がほ」は、永遠に存在し続けるのではあるまいか。
おそらく、そういうものを蕪村は見たのだろう。
<関連記事>
蕪村しみじみ