「野ざらしを心に」から持続する旅「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」
「大垣に泊りける夜は、木因が家をあるじとす。武蔵野を出づる時、野ざらしを心に おもひて旅立ければ、」
「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」
舞台に燃えるような夕焼け。
まさに「旅寝の果て」の「秋の暮」。
芭蕉も木因も、落ちていく夕日の影となって舞台下手に去って行く。
「青い山脈」の前奏曲が、無人となった暗い舞台に高らかに響き渡る。
それは、芭蕉の大垣到着を祝うファンファーレのようであった。
<幕>
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と、句の前文にある。
「野ざらしを心に風のしむ身哉」という思いは、旅(野ざらし紀行)の間中ずっと芭蕉の心の中にあったのだろう。
ポジティブな思いで旅を続ける芭蕉だが、不慮の死というのも念頭にあったに違いない。
そして親しい友人「谷木因(ぼくいん)」の住む大垣までたどり着いた。
死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮
松尾芭蕉
「旅寝」というスタイルは、芭蕉にすれば「死」に近いものだったのかも知れない。
その「旅寝」を重ねた末に、やっと大垣にたどり着いたよという、芭蕉の心の区切りの句であるように思う。
芭蕉は「旅の劇」のなかで来し方を振り返る。
そして出発のときの台詞(野ざらしを心に風のしむ身哉)に対して、どこかで「締め」をせねばなるまいと思った。
それは区切りをつけることでもあり、気を引き締めることでもあっただろう。
と同時に安堵感もあった。
「旅寝の果てよ」とは、何やら歌謡曲でも歌っているようなムードがある。
旅装束の芭蕉、舞台上手から、「青い山脈」の4番を歌いながら登場。
木因は舞台中央で、待ち遠しいように芭蕉に手を振っている。
「父も夢見た 母も見た 旅路のはての その涯の 青い山脈 みどりの谷へ 旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る」
芭蕉、元気な足取りで谷木因に近づく。
と同時に安堵感もあった。
「旅寝の果てよ」とは、何やら歌謡曲でも歌っているようなムードがある。
旅装束の芭蕉、舞台上手から、「青い山脈」の4番を歌いながら登場。
木因は舞台中央で、待ち遠しいように芭蕉に手を振っている。
「父も夢見た 母も見た 旅路のはての その涯の 青い山脈 みどりの谷へ 旅をゆく 若いわれらに 鐘が鳴る」
芭蕉、元気な足取りで谷木因に近づく。
歌声も若々しい。
遠くでお寺の鐘が鳴る。
木因、拍手で迎える。
「お元気そうで、何よりでございます。」と木因、芭蕉に駆け寄る。
「木因殿、しばしお世話になりますぞ」芭蕉は、道中に思案した木因に対する挨拶句を吟じる。
「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」
舞台に燃えるような夕焼け。
まさに「旅寝の果て」の「秋の暮」。
芭蕉も木因も、落ちていく夕日の影となって舞台下手に去って行く。
「青い山脈」の前奏曲が、無人となった暗い舞台に高らかに響き渡る。
それは、芭蕉の大垣到着を祝うファンファーレのようであった。
<幕>
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