内田百閒の短篇小説「花火」を読んだ感想
「花火」空想イラスト(作:ブログ運営者)。 |
牛窓花火大会
毎年夏に、牛窓港で開催される「牛窓花火大会」は、瀬戸内の夜空を彩る催しとして岡山県の観光行事になっている。この花火大会が大正時代にも行われていたのかどうか、インターネットで調べてみたが、その歴史は不明だった。
内田百閒の「花火」は、大正十年に刊行された短篇小説である。
舞台は、岡山県の牛窓になっている。
土手
私は長い土手を伝って牛窓の港の方へ行った。という文章で小説「花火」が始まる。
おそらく「私」は、花火大会を見物するために、土手を歩いて牛窓に向かっていた思われる。
内田百閒の小説には、ちょくちょく「土手」が登場する。
当ブログ運営者の記憶にあるなかでは、「冥途」、「流木」、「短夜」などに土手が出てくる。
「花火」の土手もそうなのだが、内田百閒の小説に出てくる土手は、日常から非日常空間へと「私」を誘う通路であるようだ。
「土」と「手」をくっつけた「土手」という文字も、見ようによっては、なにか曰くがありそうなな雰囲気を持っている。
土が手招きするとか。
紫の袴の女
物語に話をもどそう。「私」が牛窓に向かう土手の上を歩いていると、「紫の袴をはいた顔色の悪い女」が近づいてくる。
私は見たことのある様な顔だと思うけれども思い出せない。
この小説では、「私」が移動する風景の道々に「私」のぼんやりとした記憶が交錯してくる。
女は、自身が今まで歩いて来た方へ後戻りするかたちで、「私」と 並んで歩き出す。
丁度私を迎えに来たようなふうにものを云い、振舞う。「私」は、そんな女の様子を訝しむ。
すると、土手の片側にある入り江の、蘆の生えている上に、大きな花火が幾つも揚がる。
私はこんな入り江に花火の揚がるのが、なんだか昔の景色に似ている様に思われた。
幻の風景
進むうちに蘆の背が段々高くなり、あたりが薄暗くなり、土手の風景が夜に入りかける。海の風景も、「暗くなりかけた浪がしらに薄い紅をさして不思議な色に映えて」きて、もう日が暮れかけている。
「私」は、紙の焼けた灰のような「海の蝙蝠(こうもり)」が飛ぶ幻想風景を見たりする。
もう「私」は、土手の女に導かれて、非日常空間の中にいる。
幻の風景は続く。
驚いてその方を振り向いて見たら、蘆の原の彼方此方に炎の筒が立っていて、美しい火の子がその筒のなかから暗い所へ流れ出ては跡方もなく消えている。その辺りの空には矢張り花火がともったり消えたりしていた。「私」は、そんな風景に見惚れてしまう。
幻想風景には見惚れるが、陰気な女と一緒にいるとろくなことはないと思い始める。
幻想世界に入れば入るほど、女についての記憶がよみがえってくるような傾向がある。
「私」は、次第に解って来た
やがて、土手を下りて、砂川のほとりを歩き、「私」は女の後について長い廊下に入る。廊下を歩いていくと、だんだん狭くなって、「私」は息苦しさを感じ出した。
女が私をこんな所へ連れてきたわけが、次第に解って来た様に思われ出した。女についての記憶が、だんだんよみがえってくる。
この後、「私」と女は、ふたつの広い座敷の横を通る。
ふたつ目の座敷の真ん中に見台が置かれていて、「その上に古びた紙の帳面が一冊拡げてあった」。
女が、それを読んでくれれば何もかもわかると云う様な風に見えた。私はあわてて、目を外らしてその前を行き過ぎた。何だか非常に怖いものに触れかけた様な気持がして心が落ちつかない。どうやら現在の「私」には不都合な事が、過去に女との間にあったということを伺わせる。
その帳面には過去の日常が記されていて、幻想世界から見れば、日常世界はとても怖いものであるのかもしれない。
「私」は、何かを思い出したり、何かが分かりかけたりするとき、何度も女から離れようとするのだが、女は、なんだかんだ言って「私」を離そうとしない。
「私」が離れようとするたびに、女が泣く。
女の襟足の記憶
女が大きな声を出して泣き始め、うつ伏せになったとき、女のみずみずしい襟足を見て、「私」は十年前か二十年前かのことを思い出す。どこかの辻でこの女と行き会い、振り返ってこの白い襟足を見た事があった。ようやく思い出した途端、女が追っかけてきて「私」のうなじにしがみついて、「浮気者浮気者浮気者」と言った。
「浮気者」ときたか。
「人殺し人殺し人殺し」と女が言ったのであれば、夏目漱石作「夢十夜」の第三夜が思い浮かぶが「浮気者」とは。
女の袴姿と言えば、明治時代や大正時代の女学生の服装である。
「私」も、十年前か二十年前かは学生だったのかもしれない。
ふたりは花火大会の夜に出会い、いつしか別れた。
時が経って、「私」はすっかり女のことを忘れてしまっていた。
しかし、だんだん思い出しかけた時、「何だか非常に怖いものに触れかけた様な気持がし」た。
そして「ああ、あの女だった」と「私」がはっきり思い出した途端に、女が追ってきて「うなじに獅噛みついた」のだ。
物語は、以下の文章で終わっている。
私は足が萎えて逃げられない。身を悶えながら、顔を振り向けて後ろを見ると、最早女もだれもいなかった。それのに、目に見えないものが私のうなじを掴み締めていて、私は身動きが出来ない、助けを呼ぼうと思っても、咽喉がつかえて声も出なかった。
幻想世界から日常へ
「女が私をこんな所へ連れてきたわけが、次第に解って来た様に思われ出した」ということだから、「私」は、こんな世間的な結末も予想していたことだろう。男と女のありそうな話。
作者と「私」は、「結局こうなっちゃうんだよね」と、お互いに結末を承諾する。
ただ読者は、わけも解らずに、幻想世界から世間話の世界へ連れ戻される。
「炎の筒」や「美しい火の粉」の幻想世界を過ぎて、「私」が目の前に現れた長い廊下に入る。
この長い廊下は、日常世界への通路であるとブログ運営者は感じている。
廊下を歩きながら座敷の横を通って、手水鉢や手拭いがひらひらしている縁へ出る。
そこは、もう日常世界。
「浮気者」と、女が男に向かって叫ぶ世間的な日常の世界なのである。
まとめ
鮮やかだった幻想世界が花火のように消えて、いつのまにか読者の目には、世間の男と女の修羅場世界が映っているだけである。土手を歩いて幻想世界に導かれ、漂っている幻想世界の中に日常世界の断片を垣間見ているうちに、いつのまにか現実世間にうなじをつかまれて身動き出来なくなってしまった。
そんな男の物語だと感じたしだいである。
色文字部分:小説からの抜粋
参考文献:ちくま文庫 内田百閒集成3 「冥途」内「花火」
参考文献:ちくま文庫 内田百閒集成3 「冥途」内「花火」