芭蕉の誘導「山路来て何やらゆかし菫草」

春から初夏にかけて、低山の山道を散歩しているとスミレに出会うことがある。

山野で出会う花としてスミレは、そんなにめずらしい植物ではない。
ハイキングでよく見かける小さな花。
小さい花だが、その紫色の美しさはすばらしい。

山路(やまじ)来て何やらゆかし菫草(すみれぐさ)
松尾芭蕉
菫草。
現代もそうだが、「菫草」は江戸時代でも、里の野原などで群生していたに違いない。
「菫草」は、誰もが知っている山野草であり、多くの人が摘んで遊んだ経験を持っている花である。

そういうありふれた「菫草」を主役に、この句は作られている。
それは芭蕉独自の創作ではあるが、多くの人々が体験を通して共感でき得るものとなっている。
多くの人々が、ため息のようにもらす句なのだ。

ごくありふれた花だけに、人それぞれ、その人の人生において独自の親近感を抱く。
普段は、生活圏のなかで見かける花なのだが、旅の途中の山道で、「菫草」をふと見かける。
その美しい紫色に、旅愁と郷愁が同時に湧いて出る。

「ゆかし」とは、「心が引かれる」とか「慕わしい」とか「懐かしい」とかの感情のこと。
「何やら」とは「何だか」という意味。
山道で菫草を見る人の数だけ、それぞれの「何だか懐かしい」という感情が存在する。
「何やらゆかし」はそんなイメージだ。

日常見慣れたものを、日常から離れた場所で見ると、妙に心が引かれて懐かしい気分になる。
「そんなものさ」と芭蕉が言っている。
そういうものとして、「菫草」はぴったりだ。

「菫草」の微妙な存在感を芭蕉が俳諧にした。
遠くの山の景色(ロングショット)に目を奪われながら、ふと足元に目を落とすと「菫草」が咲いている。
それは、人生の途上で、ふと懐かしいものを見つけることに似ている。

芭蕉は、句の読者を「山路」へと誘導しているのだろう。
そこで、「何やらゆかし」と、多くの人々に予定通りの感情を抱かせ、クローズアップされた「菫草」に人々が詠嘆する。
芭蕉の劇は、そういう舞台へ読者の視線を導いている。

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