まだ傍観者であった芭蕉「春や来し年や行きけん小晦日」
もう少しで10月も終わる。
春や来(こ)し年や行きけん小晦日(こつごもり)
11月に入ると年の暮れも間近。
のどかな秋の日も終わり、せわしない年末に入る。
津軽地方は、そろそろ雪の季節を迎える。
津軽地方は、そろそろ雪の季節を迎える。
松尾芭蕉
芭蕉19歳のときの作として有名な句である。
制作年代が分かっているものの中で、芭蕉最古の作と言われている。
ところが私には、この句に19歳という若いエネルギーが感じられない。
前書きに「廿九日立春ナレバ」とある。
まだ年の瀬の29日(小晦日)が、暦の上ではもう立春となっている。
立春は年が明けてから来るものと思っていた。
それが今回は、自分たちがまだ新年を迎えないうちに、「年」が私たちを置いて来年の方へ行ってしまったという芭蕉の皮肉。
年月がまるで「行く人」のように、私たちのそばを通り過ぎて行ってしまった、というようなイメージ。
「年(時間)」が人間を置いて、先(正月)の方へ行ってしまう。
そういうふうに、「年(時間)」を擬人化しているところが、面白い。
19歳の芭蕉は、自身を置いて通り過ぎるものとして、「年月」を感じていたのだろうか。
13歳で父親を亡くした芭蕉の苦労人ぶりが伝わってくるようである。
19歳のときの句に垣間見ることができる「年月観」が、46歳のときの、「おくのほそ道」冒頭の文章にも見られるのは、偶然か必然か・・・。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。」
「月日は何代にもわたって通り過ぎていく旅人であって、旧い年が去って新しく来る年もまた旅人である。」と芭蕉は言っている。
「月日」が旅人であるなら、旅人の芭蕉は何なのだろう。
それは、年月とともに、永遠に旅を続ける旅人ということになるのだろうか。
旅を住み処とする芭蕉は、何代にもわたって通り過ぎていく「月日」とともに旅を続ける。
「おくのほそ道」の冒頭の文章として書き記した芭蕉のアイデアは、俳号が「宗房」のまだ19歳の芭蕉には、はっきりと発現しないものであった。
「春や来し年や行きけん小晦日」
「春(立春=新年)」が来てしまったので、「年(旧年)」は通り過ぎてしまった。
宗房(芭蕉)は、小晦日(29日)にとどまって、行ってしまった年を見送っている。
このころの芭蕉は、月日を旅人とする「年月観」をそれとなく感じていたのだろう。
だが、自身は、まだ旅人では無かった。
19歳の芭蕉は、通り過ぎていく旅人を見送る「小晦日」であった。
行動する旅人ではなく、立ち止まって傍観しているその感じが、妙に年よりくさい。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」と高らかに宣言した41歳の芭蕉の方が若々しいと感じるのは私だけだろうか。
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◆松尾芭蕉おもしろ読み
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年月がまるで「行く人」のように、私たちのそばを通り過ぎて行ってしまった、というようなイメージ。
「年(時間)」が人間を置いて、先(正月)の方へ行ってしまう。
そういうふうに、「年(時間)」を擬人化しているところが、面白い。
19歳の芭蕉は、自身を置いて通り過ぎるものとして、「年月」を感じていたのだろうか。
13歳で父親を亡くした芭蕉の苦労人ぶりが伝わってくるようである。
19歳のときの句に垣間見ることができる「年月観」が、46歳のときの、「おくのほそ道」冒頭の文章にも見られるのは、偶然か必然か・・・。
「月日は百代の過客にして、行きかう年もまた旅人也。」
「月日は何代にもわたって通り過ぎていく旅人であって、旧い年が去って新しく来る年もまた旅人である。」と芭蕉は言っている。
「月日」が旅人であるなら、旅人の芭蕉は何なのだろう。
それは、年月とともに、永遠に旅を続ける旅人ということになるのだろうか。
旅を住み処とする芭蕉は、何代にもわたって通り過ぎていく「月日」とともに旅を続ける。
「おくのほそ道」の冒頭の文章として書き記した芭蕉のアイデアは、俳号が「宗房」のまだ19歳の芭蕉には、はっきりと発現しないものであった。
「春や来し年や行きけん小晦日」
「春(立春=新年)」が来てしまったので、「年(旧年)」は通り過ぎてしまった。
宗房(芭蕉)は、小晦日(29日)にとどまって、行ってしまった年を見送っている。
このころの芭蕉は、月日を旅人とする「年月観」をそれとなく感じていたのだろう。
だが、自身は、まだ旅人では無かった。
19歳の芭蕉は、通り過ぎていく旅人を見送る「小晦日」であった。
行動する旅人ではなく、立ち止まって傍観しているその感じが、妙に年よりくさい。
「野ざらしを心に風のしむ身かな」と高らかに宣言した41歳の芭蕉の方が若々しいと感じるのは私だけだろうか。
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