雑談散歩

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名月や池をめぐりて夜もすがら

「名月」とは陰暦八月十五日の夜の月。
「池をめぐりて」は池の周囲を回っての意。
「夜もすがら」とは、夜通しとか夜の間中ずっととか。

名月や池をめぐりて夜もすがら
松尾芭蕉

芭蕉四十三歳の頃の作とされる。
四十三歳と言えば、「笈の小文」の旅へ出かける1年前のことである。

一門の宝井其角(たからいきかく)、仙化(せんか)らと芭蕉庵月見の会を催した席での作であるらしい。
この句は、月見会で隅田川に舟を浮かべ、その舟の上で芭蕉が吟じたものとも言われている。

この句を読んだ人は、月を眺めながら池の周りを夜通し歩き回る芭蕉の姿を、なぜ思い浮かべるのだろう。
句が実体験に基づいてのみ作られるものでは無い以上、池の周囲を夜通し歩き回る芭蕉の姿は読者の思い込みの産物であるかもしれない。
  1. 旅に生きた俳諧師であるから、名月を眺めながら夜の間中ずっと池のまわりを歩くことなど、芭蕉には訳も無いこと。
  2. 池の水面に映った月の美しさに、我を忘れて池のまわりを歩いていた。
  3. 満月の光があまりにも明るくて、辺りが夜なのか昼なのか判然としない不思議な光景だったので、その雰囲気に浸りたくて池の周りで遊んでいた。
などと読者は「池をめぐりて」で芭蕉の行動に着目してしまう。

(1)について
芭蕉が旅に出たのは自身の独特の人生観からである。
学ぶべき先人である西行や宗祇、李白、杜甫が旅に生きたように、芭蕉も旅に生き旅に死んだ。

そういう芭蕉の、旅の目的のひとつは句作。
旅を通して先人の境地に近づき、自身の俳諧の新境地を得ようとしたものと思われる。

たしかに芭蕉は池をめぐりながら句作を練っていたかもしれない。
そして一句、名句が出来た。
「名月や池をめぐりて夜もすがら」

旅に生きた俳諧師だった芭蕉は、リアリストであったに違いない。
そうでなければ、長期間の難儀な旅を続けることができない。
芭蕉は体を休めることを選び、夢の池の畔で名月を眺め続けたのではあるまいか。

(2)について
これもよく聞く話。
「名月」と「池」が並べば、池の水面に映った名月が思い浮かぶのは無理もないこと。
だが、池に映った名月は、本当に美しいだろうか。
その情景は風雅な装いを見せてはいるが、情緒があるだけで月の美しさの表現には至っていないように思われる。
どんなにきれいな池でも、池の中の月は、しょせん池の中の月、天空の月には敵わない。

(3)について
これは、ちょっとありそう。
でも、それは一時のこと。
夜通しでは、その雰囲気に慣れすぎて、句に詠んだときの新鮮な感覚が薄れてしまうのでは。

などと思案をめぐらせていると、私の空想は、芭蕉不在の風景にたどり着く。
なぜなら「名月」と「池」だけのほうが、この句の美しさが増すからである。

芭蕉は、人間が介在することのない情景を句にしようとしたのでは。
つまり、天空の「名月」と地上の「池」の間に人影は無い。

無人の世界。
名月が、池の上空を、夜もすがらめぐっているような夢幻の世界。
雲に隠れたり現れたりしながら、煌々と光を放っている月。

その月明かりを浴びている池の姿。
池に映った月ではなく、池そのものの存在感。
普段は見たことのない池の姿がそこにある。

その神秘的な光景に眺めいる。
夜を通して眺めていたいものだという芭蕉の思いが、残像のように幻の世界を現出させる。
そういう静寂な美の世界が夜もすがら展開する様を芭蕉は句にしようとしたのではあるまいか。
あくまでも私の空想にすぎないのだが。


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