明ぼのや白魚しろきこと一寸
シラウオとシロウオは混同されやすい。
「野ざらし紀行」には「草の枕に寝あきて、まだほのぐらきうちに濱のかたに出て」と句の前書きにある。
漢字では、シラウオは白魚で、シロウオは素魚だという。
パソコンでもそのように漢字変換される。
白魚(しらうお)は、白っぽい半透明の、細長い小魚で、死ぬと白くなる。
素魚(しろうお)は飴色がかっているが、ほとんど透明で、これも死ぬと白く濁る。
姿も料理の仕方もそっくりなのだが、魚としてはまったくの別種。
多くの句の題材となっているのは、白魚の方が圧倒的に多い。
シロウオと比べると、シラウオの方が語呂が良くて聞きやすいせいだろうか。
女性の細長い指を、シロウオのような指とは言わないのもそのせいか。
明ぼの(あけぼの)や白魚(しらうお)しろきこと一寸(いっすん)
松尾芭蕉
「草の枕」とは旅寝のこと。
はやばやと目が覚めてしまったので、明け方に河口付近に出てみたというイメージが思い浮かぶ。
あるいは眠れない夜にじっと耐えていたのかもしれない。
あるいは眠れない夜にじっと耐えていたのかもしれない。
海辺で、白々と夜が明けていく。
しらじらと明けていく「明ぼの」、「白魚」、「しろきこと」と続くこの句は、色彩的には白一色となっている。
掲句は「雪薄し白魚白きこと一寸(桜下文集)」を改案したものと「芭蕉年譜大成(今榮藏)」にある。
掲句は「雪薄し白魚白きこと一寸(桜下文集)」を改案したものと「芭蕉年譜大成(今榮藏)」にある。
改案作は、薄明の浜に打ちあがった一寸ばかりの白魚の死骸を見かけたという設定になっている。
寝不足気味の寒々とした思いで、浜に出てみた。
そのとき、白魚の小さな白い死骸が砂浜に打ち上げられていた。
「明ぼの」には、浮世の喧騒が静かに始まるというイメージも込められているように感じられる。
「白魚のしろきこと」と白を繰り返し白を強調することで、死をイメージする白の世界を芭蕉は示そうとしたのではないだろうか。
それが、「明ぼの」とともに浮世の喧騒に紛れていく。
闇夜に白く浮かんだ死のイメージから、夜明けとともに色づいてくる生のイメージへ。
などと空想することは、思い込みが過ぎるかもしれないのだが・・・・。
「野ざらしを心に風のしむ身哉」という発句で旅に出た芭蕉が「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」と旅を続ける。
それが、「明ぼの」とともに浮世の喧騒に紛れていく。
闇夜に白く浮かんだ死のイメージから、夜明けとともに色づいてくる生のイメージへ。
などと空想することは、思い込みが過ぎるかもしれないのだが・・・・。
「野ざらしを心に風のしむ身哉」という発句で旅に出た芭蕉が「死にもせぬ旅寝の果てよ秋の暮」と旅を続ける。