2015/11/04

仄かな命の存在感「海暮れて鴨の声ほのかに白し」

海暮れて鴨の声ほのかに白し
松尾芭蕉

貞享元年十二月十九日、在熱田での発句。
このとき芭蕉は四十一歳。
「野晒紀行」の旅の途上での発句である。
句の前書きに「尾張国熱田にまかりける頃、人々師走の海見んとて船さしけるに」とある。

芭蕉一行は、船の上で、海に夕日が沈むのを眺めていたのだろう。
凪いでいたとしても、師走の海である。
一抹の緊張感は、あったに違いない。
やがて、その緊張を忘れるほど景色に見入る。
夕暮れの海の、色の変化を目で追っていたことだろう。

暮れて暗くなる前の、薄明るい白々とした海。
そんな海を眺めていたら、鴨の鳴き声が、うっすらと白く聞こえたというイメージ。
芭蕉は暮れていく海の景色に溶け込んでいく自身の心の風景を見つめていたのかも知れない。
心の中で、鴨の鳴き声が白く響いた。
芭蕉は目で見、耳で聞いたものを心で感じる。
聴覚と視覚の、「ほのか」に混ざりあった感覚。
それが、白々と混ざりあった夕暮れの海風景の中に幻出しているようである。

前回の「明けぼのや白魚しろきこと一寸」とは対照的な句である。
「明けぼの」の白には死のイメージが感じられたが、夕暮れの海の白には安堵と不安の混ざりあったイメージが感じられる。
暗闇に溶け込む前に、鴨は白く鳴いて、お互いの存在を確かめているように感じられる。
そういう鴨の声から、芭蕉は安堵と不安を感じとったのだろう。
そこには「白魚しろきこと」のような死のイメージが感じられない。
安堵と不安の、命の営みとしての「鴨の声」なのだ。

その声を感じた芭蕉の心が、「ほのかに白し」だったのだろう。
それが、大自然のなかで仄かに生きている芭蕉自身の姿と重なったのではないだろうか。
芭蕉自身の姿とは「野ざらしを心に風のしむ身哉」なのである。
安堵と不安の命を営む身なのだ。

暮れていく冬の海という遠景の手前で、仄かな鴨の命の存在が感じられる。
広大な海と、ちいさな生命が、風景として溶け合いながら一日の終わりをむかえる。

死のイメージの句を作ったり、命の営みの句をつくったり。
「野ざらし紀行」の旅は、その名の通り、芭蕉が生死をかけた旅だったのだろう。

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