雑談散歩

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辛崎の松は花より朧にて

「辛崎」は地名。
現在では唐崎と表示。
唐崎は滋賀県大津市の北西部に位置し、琵琶湖西岸にある。

近江八景


この地には、唐崎神社が鎮座している。
その境内にある「唐崎の松」は、景勝地で、近江八景のひとつ。
また、「滋賀の唐崎」は歌枕としても有名である。

辛崎(からさき)の松は花より朧(おぼろ)にて
松尾芭蕉

貞享二年三月上旬頃、芭蕉四十二歳のときの作。
「湖水の眺望」と前書きにある。
「野晒紀行」の旅の途中、大津での句。
芭蕉は、湖面越しに「辛崎の松」を眺めたのだろう。
湖面に突き出た岬の先端に、琵琶湖を臨むような形で背の高い「辛崎の松」が立っているので、周囲の湖岸から、この景勝地を見渡すことができる。

湖面に浮かぶ靄のせいで、湖岸に立っている松が朧に見える情景を句にしているようである。
「花」とは桜のこと。
水面に映る桜は朧で風雅なものだが、ここ「辛崎の松」は桜よりも朧であるというイメージ。

「より」と「にて」


「花より」の「より」は格助詞としていろんな意味を持っている。
この「より」と「にて」の組み合わせで、この句はいろんな「見え方」をしている。
  1. 経由点を表す「より」+「にて」:有名な辛崎の松を見物するなら、咲いている桜を通して、松が朧に見える場所が良い。
  2. 原因を表す「より」+「にて」:辛崎の松は、桜の花が咲いたために朧になってしまっている。
  3. 比較を表す「より」+「にて」:辛崎の松は、桜よりも朧な様子で。
あるいは「にて」が、そのときの状態を表す格助詞であるなら、「辛崎の松を見物するなら桜の花よりももっと朧に見える状態のときが良い。」というイメージにもなる。

さまざまな朧


いずれにしても「にて」で止めることは、「であるからどうなのだろう」という余韻を残す。
その「どうなのだろう」というところで、様々なシーンが思い浮かんで朧なのである。
結局「辛崎の松」は、湖面の霞で朧なのか、桜のせいで朧なのか、どういうわけで桜よりも朧なのか、それは不明である。

もし、この句を「哉」で止めたなら、松を見る視点は限られてくる。
本来なら緑濃い松のほうが、桜よりもくっきりと際立って見えるのに、「辛崎の松」はその逆で、桜よりも朧に見える。
桜と松を比較して、松のほうが朧であるから面白いという視点。

しかも、松の朧加減を題材にした句を「にて」で止めて、句そのものを朧にしたところが、より面白い。

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