考えてから書くか、書くことで考えるか
- 考えてから書くか。
- 書くことで考えるか。
書くことで考えることは、お手玉遊びのようなもので、やっているうちに脳が活性化するような気がする。
書くことも遊びのひとつなのだ。
と書いたら、「何事も考えてから書くべきだ」と主張する厳格な方たちに怒られそうである。
降り積もった雪も、公園のカラスも、ブログも、理屈では説明できない一面を持っている。
そして、道路ですれ違う、たくさんの自動車のドライバーも、理屈では説明できない物語を持っている。
そう。
そんな物語は、物語でしか説明できない。
禁欲的で厳格。
それが「考える」という崇高な行為の条件であるとは、思っていない人たちもいる。
ユーモアを追及してもいい。
スタイリッシュを追及してもいい。
そうやって書かれた文から、何かが読み取れたらいい。
何かのヒントを得たら、それもいいではないか。
昔、考え盛りの年頃に、小林秀雄氏の「考えるヒント」という本を読んだが、ちっともヒントは得られなかった。
今では、なんでもかんでも書くことが、「考えるヒント」なのではあるまいかと思っている。
だから、「考えてから書くか、書くことで考えるか」は、考えるという点では同じこと。