雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

広告

「オヤスとトンケイ」の伝説の山、雲谷峠へ愛犬とミニハイキング

雲谷の山。


今日は、雲谷(もや)峠へミニハイキング。

雲谷峠は、青森市の南側に位置し、八甲田山へ至る「案内標識」のような山。
大きな三角形の山は、青森市街地からよく目立つ。
雲谷峠山頂の標高が553メートル。

スタート地点のモヤヒルズ第7駐車場の標高が約250メートルだから、標高差300メートルのミニハイキングである。
アスレチック遊具のある冒険広場の東側を通り、ヒルズサンダーコースに沿ってアケビペアリフトの始点まで登った。

そのリフト始点から、ウィンターシーズンのスキーゲレンデとなっているトンケイコースをのんびりと登る。
ところで、「トンケイ」とは聞きなれない言葉。
スキー場(モヤヒルズ)の各ゲレンデ名は、コスモス、オダマキ、ワラビ、カタクリ、カランツ(アカフサスグリ)と、雲谷峠に自生する植物にちなんだものがほとんどである。
モヤヒルズに、「トンケイ」という名の植物は存在しない。

調べてみると「トンケイ」というのは、昔、雲谷の山に館をかまえていたアイヌ戦士の名前であるらしい。
その「トンケイ」の姉は「オヤス」という名前で、ここのアイヌ集落の「部族長」を務めていたという。
このアイヌ集落は、坂上田村麻呂という人の「蝦夷征伐」によって滅ぼされてしまった。

坂上田村麻呂が、大きな灯籠を持ち出して、笛や太鼓でアイヌ戦士達を誘い出して騙し討ちにしたという滑稽な伝説は、あまりにも有名だ。
これが「ねぶた祭り」の起源と言われているが、現在では否定的な意見が主流のようである。
坂上田村麻呂が、現在の青森県まで攻め入ったという史実は、今のところ存在しない。

「オヤス」と「トンケイ」という姉弟の存在も、山の麓の村に伝わる「昔話」の域を出ていない。
敗れはしたものの、坂上田村麻呂と対峙した岩手地方実在のアイヌ戦士「アテルイ」や「モレ」を模して作られた伝説かもしれない。
そういう伝説を持つことで、「モヤ」の山麓に住む人々は、中央政権に対して「まつろわぬもの」としての矜持を密かに保ったのか。
とすれば、雲谷の三角山は、中央政権に従わぬ者の象徴とも言える。

それはともかく、この雲谷峠の山は急峻な円錐形で、アイヌの部族が「チャシ(アイヌ人の館の意)」を築くのに適している。
青森市の後潟に「シリポロチャシ」があったように、この山にも「チャシ」が存在したことを信じたい。
統率力に優れた「オヤス」と、勇猛な戦士であった「トンケイ」の存在も信じたい。


アケビペアリフト始点の横からトンケイコースを登る。


ちなみに、「トンケイ」の名を冠したトンケイコースは、スキー技術では中級コース。
姉の「オヤス」の名は、トンケイコース滑り出し(アケビペアリフト終点)にある「オヤスの鐘」として残っている。
「トンケイ」の名は、モヤヒルズの最急斜面(現カタクリゲレンデ、旧雲谷スキー場の頃は第三ゲレンデ)の名前として残してほしかったものだが・・・・。

雲谷峠という山の名前も、その昔、ふもとの集落の古老が、アイヌ戦士「トンケイ」の名にちなんで「モヤノトンケ」とか「モヤトンケ」と呼んでいたことに由来すると言われている。
そのため、地名を地図に書き入れるお役人が、雲谷の山を漢字で「雲谷峠」と記入したという。
よっぽど耳の悪いお役人だったようだ。


トンケイコースの緩斜面を登る。


登り始めがお昼近くだったので、夏の太陽は真上。
歩いたコースに日陰はほとんど無く、ときおり涼しい風が吹くものの、愛犬にとっては相当難儀な山登りだったようだ。
愛犬は、口から舌を垂らして、ハァハァ荒い息で登って、ようやく「オヤスの鐘」までたどり着いた。

「オヤスの鐘」から山頂までは踏み跡(登山道)がのびている。
木々に囲まれた細い道で、よく踏まれていて心地よい登山道である。
木々の葉が陽を遮ってくれて、風がいっそう涼しく感じられる。
「オヤスの鐘」から山頂までは5分ぐらい。
山頂は立木に閉ざされていて展望がきかない。
雪が降り積もった冬場は、見晴らしの良いところなのだが。

雲谷峠には、愛犬がまだ1歳のころ登ったことがあった。
今から9年前のこと。
そのころの記憶があるのかどうか、愛犬はしきりに山頂付近の匂いを嗅ぎまわっている。
幼い頃初登山した山に、老いてまた登る。
感慨ひとしおなのは人間ばかりで、犬はただしんどいのみ。


トンケイコースのちょっとした急坂を登り切ったところ。背後に見えるのは合小沢記念公園あたり。


「オヤスの鐘」から北方向に平坦な尾根が延びていて、その尾根の東側は展望が開けている。
東岳方向を遠望することが出来る。
尾根の北端からは、青森の市街地や陸奥湾を見渡せる。

アケビペアリフト終点の小屋の日陰でゆっくり休憩。
愛犬を休ませた。

四方に急峻な斜面をしたがえた、この平坦な尾根の上に「チャシ(館・砦)」を構えたら難攻不落だったのではないか。
飲料水は、東側の崖下の、沢の水を利用したのだろうか。
雲谷峠の麓の平地と、ホテルヴィラシティ雲谷(現在閉鎖中)が建っている平地を含めた大集落があったのかもしれない。
などと、空想が広がる。

雲谷峠は、「オヤスとトンケイ」の伝説の山であり、その伝説がこの山のミニハイキングに歴史的な彩を添えてくれる。
ただ、スキー場の中を登るのは、ちょっと味気ない。
山の東側が森になっているので、そこに遊歩道を築いたら、雲谷峠は四季を通じて都市近郊型の素敵なアウトドアフィールドになるに違いない。
ただ、この山には地権者がいらっしゃるので、のんきで手前勝手な「構想」は靄(もや)のごとく消え去るのみである。


私と愛犬のケツ。

奥にアケビペアリフトの終点が見える。

アケビペアリフト終点にある「オヤスの鐘」。この柱の脇から「登山道」がのびている。

トンケイコースの滑り出しに沿って山頂への踏み跡がついている。

踏み跡ははっきり確認できる。

山頂はもうすぐ。

雲谷峠山頂。

山頂付近の、謎のコンクリート構造物。

カタクリペアリフト終点の滑り出しから青森市街を見下ろす。

カタクリペアリフト終点からカタクリゲレンデの急斜面を見下ろす。

雲谷峠の山の向こうに北八甲田が見える。

アケビペアリフト終点の小屋が唯一の日陰をつくっている。あたりは、草が刈り払われたばかりのようだった。
Next Post Previous Post

広告