凡兆の句を読んで、不思議な思いにとらわれるのはなぜだろう。
句から感じる鮮明なイメージの出所は、句の表面には現れていない。
俳諧の「言葉」の下に、その句には記されていない風景が見え隠れするのだ。
凡兆にたいする思い入れが過ぎるための、私の錯覚だろうか。
ながながと川一筋や雪野原
野沢凡兆
この句は、広大な里の風景を詠ったような印象を持っている。
冬の日に、俳諧師が峠から里の雪景色を見下ろして詠ったような「写生」の句。
真っ白な雪原に一本の川がくっきりと黒い筋を描いている。
白と黒のモノクロームの世界。
凡兆は、冬の日に京都の郊外で雪野原を眺めているという状況を想定してこの句を作ったのだろうか。
むしろ私には、この句は里の風景の「写生」ではなく、街なかの光景の「写生」のように思われる。
京都の街なかを流れる川としては鴨川がある。
野沢凡兆が暮らしていたとされている「小川椹木(さわらぎ)町上ル」の東側を鴨川は流れている。
掲句にある「川一筋」とは、この鴨川のことではあるまいかと、私は突拍子のない空想をしている。
雪の積もった大都会は、上空から眺めればただの雪野原。
夜に降った大雪が朝には止んで、京都の街は一面の雪野原に変わった。
通りも家並みもすっぽりと白い雪におおわれて、風景は様変わり。
加賀生まれである凡兆は、一夜の大雪が、景色をがらりと変えることを何度も体験したことだろう。
京の都を襲った大雪は、街に住む人々の暮らしを雪の下に閉じ込めた。
この光景を、凡兆はバードビューとしてとらえたのではあるまいか。
雪に閉じ込められながらも、凡兆の想像の視点は、街を鳥瞰している上空にあった。
街に並んでいた建物も大路小路も、雪におおわれて姿を隠し、京の都は白い雪原のように見える。
大都会を誇る京都が、ただの「雪野原」に変わったのだった。
その「雪野原」に「ながながと」存在している一筋の川。
この川は、一帯が都市として栄える以前から流れていた。
「ながながと」した京都の歴史のなかを流れてきた存在である。
そして今は、京都に住む人々の暮らしを支えている存在でもある。
そういう時間と空間のなかに存在している川を凡兆は句にしたのではあるまいか。
この川は、印象を鮮明にしたまま、凡兆の俳諧人生を流れていたのかもしれない。
空想過多な私は、掲句を読んでそう感じたのだった。
やはり、掲句から感じる鮮明なイメージの出所は、句の表面には現れていない。
「雪野原」の下に、京の都が見え隠れする。
「市中は物のにほひや夏の月」や「藏並ぶ裏は燕のかよひ道」を読んで、凡兆を「都市詩人」と思い込んだ私の、錯視に過ぎないかもしれないのだが。
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