凡兆の自信「時雨るるや黒木つむ屋の窓明り」

この句を読んだとき、カッコいい句だなと思った。
どうしてカッコいい句だと思ったのか、その理由をうまく説明できない。
素人の何とやらである。

時雨(しぐ)るるや黒木(くろぎ)つむ屋の窓明り
野沢凡兆

「時雨るるや」とは、時雨が降っていることへの詠嘆。
時雨とは、晩秋から初冬にかけて降ったり止んだりする冷たい雨のこと。
黒木(くろぎ)とは、京都の八瀬や大原で作られる薪のこと。
かまどで黒く蒸し焼きにしたことから黒木と呼ばれたとか。
当時は、八瀬や大原の女が黒木を頭に乗せて、京都市中を売り歩いたらしい。

冷たい時雨が降っているなか、ふと目にした家は、軒下に冬の備えの薪を積んでおり、窓からは暖かそうな明かりが漏れていた、というイメージか。
この句を読むと、「宿かさぬ火影や雪の家つづき」という与謝蕪村の句が思い浮かぶ。
蕪村の句は、雪の宵に泊まる宿もなく途方に暮れている旅人の姿を描いている。
この句にある「火影」は見知らぬ旅人を拒む火影だった。

それに比べて凡兆の見た「窓明り」は、その家に暮らしている人達の姿を彷彿させる火影である。
「都市詩人」である凡兆は下京あたりを逍遥していたのではあるまいか。
京都の下京は商業地域であり民衆の街である。
屋根を並べている家々の軒下には黒木が積み上げられ、窓からは夕餉の火影がもれ出ている。
街路には冷たい雨が降っているが、「窓明り」は、寒さを拒んで暖かそうである。
そんな家がずらりと並んだ街なかの光景が思い浮かぶ。

ひょっとしたら凡兆は、時雨の街の句を詠むために散歩に出かけたのかもしれない。
そして、ピンとくる光景を目の当たりにした。
時雨に濡れて暗く寒々とした宵時の街並み。
軒下には、いっそう黒い薪が積まれている。
だが、窓からは暖かそうな明かりがもれている。
都会の夕の静かな平穏。
凡兆は、自信たっぷりに句を詠んだ。

時雨るるや黒木つむ屋の窓明り

作者が自信たっぷりに詠んだ句だからカッコいいのかもしれない。

与謝蕪村は、野沢凡兆が亡くなった年(正徳四年:1714年)の翌々年(享保元年:1716年)に生まれている。
芭蕉が亡くなって(元禄七年:1694年)から、22年目に誕生したことになる。
蕪村は「蕉風」回帰を唱えて活躍した俳諧師。
芭蕉を尊敬し、芭蕉に倣って旅に出たりしている。

萩原朔太郎は「郷愁の詩人 与謝蕪村」において、蕪村は「炬燵(こたつ)の詩人」であり「炉辺(ろへん)の詩人であると評している。
僭越ながら私から見ると、芭蕉が「漂泊の詩人」なら蕪村は「定住の詩人」。
その「炬燵の詩人」が、冬の旅の途中、宿泊する宿も見つからず、雪の中で憔悴している様は容易に想像がつく。
蕪村は、家々からもれてくる「窓明り」を寒々とした思いで呆然と眺めたことだろう。
このとき、蕪村の脳裏には凡兆の「窓明り」の句があったであろうか。
蕪村は、旅の途中の「窓明り」に落胆した。
凡兆は、街中なかの「窓明り」に京都の都市生活者の温もりを感じた。

私が凡兆を「都市の詩人」と感じる所以である。

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