凡兆の視点「剃刀や一夜に金情て五月雨」
梅雨時は錆の季節。
油断していると、あっと言う間に鉄製品が錆びてしまう。
じめじめと湿っぽい季節は、湿気のせいで、錆がすぐに広がる。
剃刀(かみそり)や一夜(ひとよ)に金情(さび)て五月雨(さつきあめ)
動作・状態が同時に進行・存在していることを表す。
梅雨の進行と並行して、錆も進行しているというイメージ。
梅雨の湿気のせいで、剃刀が一晩で錆びついている。
赤く錆びた剃刀とともに、じめじめと湿っぽい土間の様子が思い浮かぶ。
それにしても「金」に「情」で「さび」とは。
錆って、金物の情だったのか。
金に精と書いて「金精(さび)」とすると何かで読んだ気がするが・・・・。
金物の情のほうが、どことなく錆びっぽい。
とてもじめじめした情なんだろう。
それは、さておき。
「剃刀」と「五月雨」の「取り合わせ」が面白い。
それと同時に、「剃刀」と「五月雨」を錆でつなぐと、梅雨時のじめじめした様子を詠った「一物仕立て」の句のようにも見受けられる。
凡兆は、日常生活で使う道具を通して梅雨を表現した。
俳諧の題材としてはマイナーな「物」に目を向ける。
この句でも私は、「物」を描くことで何かを表現しようとする凡兆の試みを感じる。
稲作農家にとって適度な梅雨は無くてはならないもの。
だが、過剰な雨は日照不足を招き、稲の発育にマイナスになるという。
都市生活者にとって梅雨は、活動の停滞を招く。
雨に閉じ込められて身動きできない。
凡兆は、「五月雨を集めて早し最上川」などと、芭蕉みたいにカッコ良く気取っていられない。
生活者にとって「五月雨」とはいかなるものかという視点で周囲を見渡す。
そこには、一晩で錆びついてしまった「剃刀」がある。
「剃刀」の湿気をきれいに拭い取っても、蒸し蒸しする空気のせいで、湿気は消えない。
土間の壁にカビが生えたり、鍋や釜が錆びたり。
食糧も傷みやすい。
体調も崩しやすい。
梅雨時には、「物」が速く変化する。
その速さに対する驚きが、「一夜に」という語に表れている。
「一夜に」して、家中の「物」の様子が様変わり。
梅雨に対する不快感ではない。
新鮮な驚きの目を向けて、見た出来事を句にしようとする凡兆の叙景。
その奥に、庶民の暮らしが見えてくるようである。
錆びた「剃刀」で「五月雨」に閉じ込められた生活を詠った凡兆のシャープな感性。
包丁ではなく「剃刀」の錆なのである。
梅雨のため、自身が出かけることも億劫。
また、来客(患者)も少ない。
髭を剃って身なりを整えることも無く、一日中ふさぎ込んでいる。
錆びていく「剃刀」を見て、そういう自身の心情を目の当たりに見たのだろう。
「五月雨や蚯蚓(みみず)の潜 (くぐ )る鍋の底」と詠った服部嵐雪(はっとりらんせつ)ほどグロでもなく、力強くもなかった。
■野沢凡兆の俳諧のページへ
梅雨の進行と並行して、錆も進行しているというイメージ。
梅雨の湿気のせいで、剃刀が一晩で錆びついている。
赤く錆びた剃刀とともに、じめじめと湿っぽい土間の様子が思い浮かぶ。
それにしても「金」に「情」で「さび」とは。
錆って、金物の情だったのか。
金に精と書いて「金精(さび)」とすると何かで読んだ気がするが・・・・。
金物の情のほうが、どことなく錆びっぽい。
とてもじめじめした情なんだろう。
それは、さておき。
「剃刀」と「五月雨」の「取り合わせ」が面白い。
それと同時に、「剃刀」と「五月雨」を錆でつなぐと、梅雨時のじめじめした様子を詠った「一物仕立て」の句のようにも見受けられる。
凡兆は、日常生活で使う道具を通して梅雨を表現した。
俳諧の題材としてはマイナーな「物」に目を向ける。
この句でも私は、「物」を描くことで何かを表現しようとする凡兆の試みを感じる。
稲作農家にとって適度な梅雨は無くてはならないもの。
だが、過剰な雨は日照不足を招き、稲の発育にマイナスになるという。
都市生活者にとって梅雨は、活動の停滞を招く。
雨に閉じ込められて身動きできない。
凡兆は、「五月雨を集めて早し最上川」などと、芭蕉みたいにカッコ良く気取っていられない。
生活者にとって「五月雨」とはいかなるものかという視点で周囲を見渡す。
そこには、一晩で錆びついてしまった「剃刀」がある。
「剃刀」の湿気をきれいに拭い取っても、蒸し蒸しする空気のせいで、湿気は消えない。
土間の壁にカビが生えたり、鍋や釜が錆びたり。
食糧も傷みやすい。
体調も崩しやすい。
梅雨時には、「物」が速く変化する。
その速さに対する驚きが、「一夜に」という語に表れている。
「一夜に」して、家中の「物」の様子が様変わり。
梅雨に対する不快感ではない。
新鮮な驚きの目を向けて、見た出来事を句にしようとする凡兆の叙景。
その奥に、庶民の暮らしが見えてくるようである。
錆びた「剃刀」で「五月雨」に閉じ込められた生活を詠った凡兆のシャープな感性。
包丁ではなく「剃刀」の錆なのである。
梅雨のため、自身が出かけることも億劫。
また、来客(患者)も少ない。
髭を剃って身なりを整えることも無く、一日中ふさぎ込んでいる。
錆びていく「剃刀」を見て、そういう自身の心情を目の当たりに見たのだろう。
「五月雨や蚯蚓(みみず)の潜 (くぐ )る鍋の底」と詠った服部嵐雪(はっとりらんせつ)ほどグロでもなく、力強くもなかった。
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