雑談散歩

    山スキーやハイキング、読書や江戸俳諧、山野草や散歩、その他雑多なことなど。

昔の名古屋の「ものづくり」がすごかった(昭和初期製作の柱時計がまだ現役で動いている)

八角小型掛時計。
部屋を片付けていたら、田舎の実家を処分したとき、持ち帰った古い掛時計が出てきた。
私は、このボロい時計を捨てずに持ち帰ったのを、すっかり忘れていた。
65年前に私が生まれた頃、すでにあった掛時計である。
子どもの頃、居間の壁の柱に掛かっていた時計で、あらためて見ると不思議な気分。
この時計と一緒に過ごした懐かしい暮らしが甦ってくるような。
「まだ動くのだろうか?」
ためしに仕事部屋の柱に掛けて、振子を指で振ったら、チクタクチクタク・・・・・・。
幼い頃聞きなれた音が、時を隔てて耳に響く。
仕事部屋の雰囲気が昭和レトロの時代へと逆戻り。
パソコンや大判プリンターと、昭和初期のゼンマイ時計が共存している空間が、なんとも新鮮だ。

塗装が剥げかかった文字盤。
時刻を表す文字はローマ数字が刷り込まれている。
ローマ数字の外周に、一分間隔の目盛線が描かれていて、なかなか細かい。
その文字盤の上を、黒く細い長針と短針が回る。
文字盤の外周は八角形の木製板で装飾されている。
いわゆる八角形掛時計である。

1時から12時まで各時刻になると、その数だけ「時打ち」がジャーンジャーンジャーン(この場合は3時)と鳴る。
文字盤の下側左右に開いている穴は、下の写真にある専用の鍵を挿し込んでゼンマイバネを巻くための穴。
そう、この掛時計は巻かれたゼンマイバネのもどる力が動力となっている。

専用の鍵。
文字盤に向かって右側の穴が時刻用。
向かって左側の穴が、ジャーンという「時打ち」用。
下の写真のように鍵を挿し込んで、右側の穴は反時計回りにゼンマイを巻く。
左側の穴は時計回りにゼンマイを巻く。
ゼンマイバネが固くなりかかったら、巻くのをやめる。
古いものなので、ゼンマイバネが切れてしまわないように、そおっと静かに巻いた。
掛時計のゼンマイを巻くのが、子どもの頃の私の仕事だったことを思い出した。

動力はゼンマイ。専用の鍵を挿し込んで巻く。
振子の奥の板にラベルが貼ってあった。
こんなラベルには、子どもの頃は興味を持たなかったのだが。
ちゃんとラベルがあったのだ。
不鮮明だが「EIGHT-DAY SPRING CLOCK」という文字が見える。
直訳したら「八日のバネ時計」。
この時計の商品名だろうか?
「NAGOYA SHOJI CLOCK CO.」という社名らしきものが印字されている。
時計の文字盤に記されたトレードマークと「振子室」のラベルに記されたトレードマークが違っている。

ネット(TIMEKEEPER 古時計どっとコム様)で調べてみたら、以下のような情報があった。
花びらの中にTとKを組み合わせた文字盤のトレードマークは、明治44年に林時計株式会社が登録したもの。
これは「桔梗印」と呼ばれている。
林時計株式会社の所在地は、明治44年現在では、名古屋市東区松山町7番地。
大正6年に、この林時計を名古屋商事株式会社が時計部を新設して引き継いだという。
後に名古屋時計株式会社と改称したが、昭和22年に廃業したとのこと。
「桔梗印」のトレードマークは、昭和初期に名古屋商事株式会社が登録更新したという。

ネットの情報をもとにすれば、この古い八角形掛時計は昭和初期の製作と考えられる。
ラベルの「NAGOYA SHOJI CLOCK CO.(名古屋商事株式会社のこと)」という社名と、文字盤の「桔梗印」のトレードマークで、そう考えられる。

私の父親は、この時計を自身で購入したのか、あるいは近親者から譲り受けたのか、今となっては定かではない。
それはそれとして、昭和初期に作られたゼンマイ時計が、現在もちゃんと動いているとは驚きだ。
実家の物入れと私の仕事部屋の押し入れの中で30年の休止期間があったのだが。

明治、大正、昭和と、その時々の名古屋は、ゼンマイ時計の開発・製作において最先端を進んでいたらしい。
私は18歳(昭和45年)から36歳まで名古屋で暮らしていたことがあったのだが、そんなことは知らなかった。

過去との出会い。
古いモノが新しい発見の契機となることもある。
私がこの頃感じていることである。

英文字で書かれた「振子室」のラベル。
文字盤のトレードマークは、桔梗印の商標。

しゃれた感じの振子。円形の錘の下に長さ調節のためのネジのツマミがある。

まだまだ現役。
Next Post Previous Post

広告