雑談散歩

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夕顔に酔うて顔出す窓の穴

「夕顔」と言えば、源氏物語の「夕顔」
光源氏が外出先で、軒先に青々とした蔓(つる)がかかっている簡素な家を見かける。
その蔓には、白い花が咲いていた。
光源氏にはそれが「おのれひとり笑みの眉開けたる」ように見えた。
 「かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりける」
と護衛の者が光源氏に白い花の名前を教える。

「花の名は人めきて」と護衛の者が源氏に説明している。
花の名前に「顔」という人体の部分を示す語があることについて述べているのだろう。
「かうあやしき垣根になむ咲きはべりける」花なので、身分の高い光源氏は「夕顔」という植物を知らなかったのだ。
光源氏は、「夕顔」の花を一枝折って来いと護衛の者に命じる。
護衛の者が「夕顔」の花を折った時、家の中から童女が出てきて、白い扇子を差し出した。
枝がない花なので、この扇子の上に載せて持って行ってくださいと言って護衛の者に取らせた。
良い香りのするその扇子には、きれいな字で歌が書かれてあった。
心あてにそれかとぞ見る白露の光添へたる夕顔の花
これを読んだ光源氏は、この歌を作った女性に興味を覚え、この女性に近づこうとする。
こうして、この女性「夕顔」と光源氏との逢瀬が始まる。

この逢瀬もしばらくは続いたが、光源氏が「ことさらに人来まじき隠れ家求め」て某院に「夕顔」を連れて宿泊したとき、二人は「いとをかしげなる女」の「物怪」に襲われる。そのショックで「夕顔」は絶命してしまう。

夕顔に酔うて顔出す窓の穴
松尾芭蕉

元禄六年夏、江戸深川にある芭蕉庵に滞在中の芭蕉の発句である。
「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」によると、掲句は「白雪宛書簡」のなかに収められている句であるという。
(※元禄七年に、芭蕉が支考と協議しながら「続猿蓑」の編集を完了したときは、「夕顔や酔うて顔出す窓の穴」となっている。)

私がこの句を初めて読んだとき、上記の「源氏物語・夕顔」が思い浮かんだ。
「源氏物語・夕顔」は、昔、与謝野晶子の現代語訳で読んでいた。


以下は、掲句と「夕顔」を関連付けてしまった私の空想である。


「窓の穴」とはなんだろう?
窓に穴が空いていたのか。
それとも、壁に空いた穴を、窓代わりに使っていたのか。
いずれにしても簡素な住居を連想させる。

芭蕉が掲句を作ったのは前述した通り、江戸深川においてであったが、もしかしたら京都の町を散歩中に思いついた句であったかもしれない。
散歩中に芭蕉は、「夕顔」が軒にかけて植えられている粗末な住宅を見かけた。
壁には穴が空き、中から簾(すだれ)がかけられている。

あの穴の奥には光源氏が潜んでいるのでは、という幻想に襲われる芭蕉。
そして、その傍らには、か弱い女性である「夕顔」もいるに違いない。
「源氏物語」の白日夢。

掲句には、「顔」がふたつ出て来る。
「夕顔」の「顔」と、酔って出した「顔」。

「夕顔」に酔って顔を出すのは光源氏のはず。
と思って、芭蕉は「窓の穴」を見つめた。
だが、簾を上げて穴から顔を出したのは、赤ら顔の酔っぱらいオヤジ。
途端に、芭蕉は夢から覚める。
呆然と「窓の穴」を眺めている芭蕉の顔。
その顔を、俳諧師の芭蕉が眺めている。

この句には、いろいろな登場人物の「顔」が潜んでいる。
ふたつの「顔」が三つ四つと増えていく。
悲劇的な女性である「夕顔」の「顔」。
「夕顔」に酔いしれている光源氏の「顔」。
もしかしたら、芭蕉が見たかったのは、この十七歳の美青年の顔だったのかもしれない。

そして、酔っ払って穴から顔を出した男の「顔」。
男の「顔」に驚いた芭蕉の「顔」。
読む者の想像力によって、ミステリアスな「窓の穴」からいくつもの「顔」が飛び出すというのが、この句に仕込んだ芭蕉の仕掛けなのではあるまいか。

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