![]() |
アオギリの黄葉が見頃な公園。 |
その公園で、愛犬と朝の散歩をしていたら、アオギリの黄葉がきれいだった。
緑の幹と黄色い葉の組み合わせが、絵のようで美しい。
アオギリの緑色の樹皮が、とても滑らかだった。
なんとアオギリは、この緑色の樹皮でも光合成を行っているというからオドロキだ。
紅葉しながら光合成も?
春から夏にかけては、全身で光合成。
それでアオギリは、成長が早いのだろうか。
アオギリの葉は、桐の葉に似ている。
青い幹の桐なので、アオギリと命名されたとか。
だがアオギリは、桐とは異なる樹種であるとされている。
桐は、シソ目キリ科。
アオギリは、アオイ目アオイ科。
アオギリの美しい緑色の樹皮は、老木になると灰白色になるという。
そういえば、灰白色の樹皮のアオギリもよく見かける。
よく見ると、縦にひび割れた樹皮の溝にかすかに緑色が残っている。
![]() |
鮮やかな黄色が青空に映えている。 |
なので、アオギリの黄葉は見ごたえがある。
晴れていれば黄色に輝いて、遠くからでもよく見える。
そんな風景が目につくようになれば冬も間近。
昔、アオギリの黄葉に驚いて、「気がつけば、もう秋も終わりね。」と言った人がいた。
「えっ!今まで気がつかなかったの?」
と言うと、「まあ、風情の無い人ね。」だと。
風情とは知らぬふりすることだと、そのとき知ったのだった。
青森では季節の移り変わりに知らぬふりは出来ない。
だから、そんな風情は育たない。
四季が明瞭ではない温暖な地方では、気がつかないふりをすることも可能なのか。
季節の移ろいにふと気がついて、その趣に感じ入る。
秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる風情とは、日本の古典的な美意識のひとつ。
知らんふりの美意識。
歌を詠むほどの観察眼の持ち主なら、目に見えていたでしょうに。
そこを「見えねども」と詠むのが風情のレトリック。
![]() |
白鳥の飛来。ちょっとピンボケ。 |
それがどんどん大きくなって。
軋るドアの数も増えて、空の方から聞こえる。
これは空耳か。
そう思って見上げたら、白鳥の編隊。
ドアの軋る音は、空を飛んでいく白鳥の鳴き声だった。
「ギィェークゥォ、ギィェークゥォ、ギィェークゥォ」
私には、そう聞こえる。
空を飛ぶ白鳥の鳴き声は独特だ。
急いでカメラを構えたが、白鳥の大編隊は、とっくにアオギリの梢を通り過ぎていた。
なんだかんだ言って私も気がつくのが遅い。
気がつけば白鳥は空の彼方へ。
もう冬も もう冬も 近いのね中山丈二の「秋冬」が思い浮かんだ。
青い空をバックに、アオギリの黄葉にかぶさる白い白鳥。
タイミングが合っていたら、さぞかし風情のある写真となっていたことだろう。
![]() |
大編隊。 |