草いろいろおのおの花の手柄かな

芭蕉は元禄元年八月に、仲秋の名月を鑑賞するために美濃の地から信州更科への旅に出る。
「更科紀行」の旅である。
そのときに芭蕉は、見送りに来た岐阜の門人たちに留別吟を残している。
留別吟とは、旅立つ人があとに残る人に向けて詠む別れの句のこと。
芭蕉にとっては、「笈の小文」の旅へ出て以来、信州更科を経て、約十ヶ月ぶりに江戸へ帰る旅となる。

草いろいろおのおの花の手柄かな
松尾芭蕉

掲句は、その留別吟のひとつ。

見送りの門人たちを草に喩えているというのが一般的な「解釈」であるようだ。
いろいろな特長を持った草があるように、私(芭蕉)にはいろいろな特長を持った弟子がいる。
その弟子たちがそれぞれの特長を活かしてすばらしい花を咲かせている。
という、見送りの門人たちへの感謝と賞賛の念を表明している句であるとされている。
なるほど。
平易で馴染みやすい句である。

芭蕉の俳諧は様々なイメージを表現している。
ひとつの句の中にイメージが混在しているのではと思うこともしばしばである。
当然のことながら、新たなイメージを句から感じたときは、それまでとは異なる視点でその句に接していることになる。
視点を変えれば、別な世界が広がって見える。
これも芭蕉の俳諧を読む楽しさのひとつ。

草が大地に根を張って、雨風をしのいでいろいろ努力している結果、おのおのの開花が実現している。
花が咲いているのは草の手柄であるというイメージ。
そういうイメージがある一方、いろいろな草が豊かに生い茂っているのは、それぞれの花の手柄であるというイメージ。
花が受粉を促し結実して種子をつくる。
その種子が発芽して草を生い茂らせている。

鶏が先か卵が先かではないが。草と花の手柄あらそいという印象を掲句から感じている。
花は、芭蕉が師となっている蕉門の喩え。
草は、その門人の喩え。
そうであるとしたら、これは門人と蕉門(芭蕉)の一門発展の手柄あらそいを彷彿させる。

以下は「芭蕉年譜大成(著:今榮藏)」からの抜粋。
「近来各地の芭蕉人気の上昇を背景に、旅の経過地ごとに前回にも増した歓迎に逢う中で各地の蕉門勢力は増大する。再訪の地尾張では一月半にわたって多くの新参も交える連日の句会に引き回され、・・・・・・・・。歳末から翌春三月までの伊賀帰省中のは俳交の記録と参入の門人の顔ぶれも一挙に増え、滞在中に再訪した伊勢山田でも多数の新人の参加で賑わう。・・・・・初訪問の岐阜俳壇の歓迎は殊に熱烈で、ここに蕉門の一淵叢(えんそう)が誕生する。」                                          ※淵叢(えんそう):物事の寄り集まる所。活動の中心地。(ブログ管理人注)
上記抜粋を読むと、「笈の小文」の旅の訪問地での蕉門の盛況ぶりを窺い知ることができる。
掲句は、芭蕉がその盛況ぶりの感想を句に詠み、その句を留別吟としたのである。
「笈の小文」の旅を終えた芭蕉の感想が、そのまま留別吟となったのだと思う。

蕉門という花が見事に咲き乱れているのは、草に喩えた門人たちの活躍によるものである。
と同時に、生い茂る草のように門人たちが活躍できるのは、蕉門という大きな花が咲いているから。
芭蕉が蕉門の名声を世に轟かせているからである。
蕉門俳諧の発展の手柄は、草(門人)と花(蕉門=芭蕉)の双方にあるという芭蕉のメッセージのようにも受け取れる留別吟である。

芭蕉は、蕉門の一淵叢(えんそう)が誕生」した岐阜の門人たちに「君たちもえらいが、俺もえらい。」と言い残して信州更科へ旅立ったのです。


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