手を打てば木魂に明くる夏の月

【「芭蕉年譜大成」と「芭蕉紀行文集」。】


木魂信仰

「木魂(こだま)」は、森のなかの木に宿る精霊。
遠い昔には、そう言われていたという。
山や谷で大きな声を出すと、その声が遠くからかえってくるように聞こえる現象はこの「木魂」という精霊のしわざであると信じられていた。

その信仰は、樹木に神様が宿っているという自然崇拝や山岳信仰につながるものであったのだろう。

「木魂」が反響音であると江戸時代には、解明されていたかどうか。
たとえ解明されていたとしても、江戸時代の人々は現代人よりも「木魂」に対して神秘的なイメージや「信仰心」を抱いていたのではあるまいか。

句文集「嵯峨日記」の句

手を打てば木魂に明る夏の月
松尾芭蕉

「芭蕉年譜大成(著:今榮蔵)」には、元禄四年四月二十三日の作と記されている。
上方漂泊中の芭蕉が、向井去来の別荘である落柿舎に滞在していたときの句である。
四月二十三日は「終日来客なし。」であったという。

落柿舎は京の嵯峨野にあった。
嵯峨野の西側には小倉山があり、北側に愛宕山がある。
南側は嵐山である。
「芭蕉年譜大成」によれば、芭蕉は落柿舎に元禄四年四月十八日より五月四日まで滞在し、「嵯峨日記」を著した。

落柿舎で独り住まいを楽しんだ芭蕉

岩波文庫「芭蕉紀行文集 付 嵯峨日記」を読むと、廿三日の日付の箇所に掲句が収まっている。
芭蕉は「獨住(ひとりすむ)ほどおもしろきはなし」と書いて、「客は半日の閑を得れば、あるじは半日の閑をうしなう」という「隠棲者」の言葉を引用している。
孤独を楽しんでいたようだが、凡兆夫妻や史邦、丈艸、乙州、それに曾良と訪問客も多かったようである。

孤独を楽しみ、来客も楽しみ、芭蕉は落柿舎でゆったりとした時間を過ごした。
そんな日々のなかで、掲句は終日来客がなかった日の発句である。
そのせいか、独り住まいの清々しさが伝わってくるような句であると感じた。

明け方の清らか嵯峨野のイメージ

「明くる夏の月」とは夏の残月のことだろうか。
未明に目覚めて、誰か人がいるような気配を夢うつつに感じる。
芭蕉は横になったまま手を叩いてみたが、誰も返事をしない。
森閑とした嵯峨野におられるのは、「木魂」という精霊だけ。
その精霊が、芭蕉の手の音に応えている。
やがて夜が明けはじめ、夏の残月が精霊の気配とともに、朝日に消えかかる。
私は掲句にそんなイメージを感じた。

二十三夜の月待信仰

掲句が二十三日の発句で月が題材であるため、「二十三夜の月待(つきまち)信仰」の句という読み方もあるようだ。
「月待信仰」とは、定まった月齢の夜に、月の出を待ってその夜の月を祀る信仰のこと。
旧暦の二十三日の夜も、この「定まった月齢の夜」にあたっていて、二十三夜と呼ばれていたという。

ただしこの「月待信仰」は、人々が集まって行うものであったらしい。
訪問客のいなかったこの日の夜に、芭蕉はたったひとりで「月待」を行ったのだろうか。

いや、森閑とした嵯峨野で、芭蕉は多くの精霊たちを感じていたのかもしれない。
そして、その精霊たちと「月待」を行ったのだろう。

芭蕉が、月よ出ておいでくださいと柏手を打つ。
しばらくして、その「木魂」がかえってくる。
それが、人々が集まって柏手を打っているように聞こえる。
多くの精霊たちのしわざである。

そうしているうちに、その精霊に呼応するように二十三夜の月が姿をあらわしたというイメージ。
「明くる夏の月」とは、月が嵯峨野の山の端から空へおいでくださったという表現なのだろう。

この天と地の対比が、「月の出」の風景の広がりを感じさせている。
芭蕉が独住している空間を神秘的なものにしている。
これもまた「獨住ほどおもしろきはなし」なのかもしれない。

なお、元禄四年四月二十三日は、太陽暦では1691年5月23日である。
この日の月のかたちをインターネットの「満月カレンダー」で調べたら、月齢24.8の三日月であるとのことだった。


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