逢魔ヶ時の川景色

【夕暮れの川景色。】


愛犬が川のほうへ行きたいというので、街外れの川岸まで散歩した。
川岸といってもコンクリート護岸されていて、その護岸に接している土手道を歩いたのだが。

夕方の混雑したスーパーの前を通り、信号を越えて、西日を浴びたクリーニング店の横から住宅街に入る。

30分ぐらい、アパートや住宅が立ち並ぶ小路を歩くと、広い原っぱに出る。
この原っぱが、昔の河川敷であったらしい。
草深い原っぱの一本道の向こうに、こじんまりと築かれた堤防がある。


【雪をかぶった山。】


堤防の上からは、川の上流方向に、山頂付近が黒い雪雲に覆われた高い山が見えた。
川の源流のひとつは、この山の中腹あたりを流れている。

その流れがここまで届くのに、どれぐらいの時間がかかるのだろう。
そう思って川面を見下ろすと、四羽の鴨が列を組んで泳いでいる。
今夜のねぐらをさがして、さまよっているのだ。

ふいに「鴨の放浪家族」という言葉が思い浮かんだ。
なぜか、そういうふうに見えたのだ。

すると、あの鴨たちは人間の放浪家族が魔法をかけられて鴨の姿になったのでは、と思えてきた。
そう考えたら、人間の親子以外のなにものでもないように見える。
暗くなりかけた川面を不安げに寄り添って泳いでいる。
妙になつかしい気がした。

かつて私もそうだったような郷愁が、私の脳裏をよぎった。
ひょっとしたら私は、放浪の鴨が魔法をかけられて人間の姿になったのではないか。


【川面の鴨】


愛犬は、そんな私の感傷におかまいなし。
堤防の端の草むらの匂いを嗅いでいる。

堤防道路の上流側から、小さな犬を連れた女性が歩いてくる。
むこうさんも、愛犬の散歩のようである。

背の高い女性で、ロングドレスをなびかせている。
まるで洋館住まいのような、お上品なおスタイル。

女性が、大きな口を開いて「こんにちは」と声をかけてきた。
暗くなりかけているが、「こんばんわ」にはまだ早い。
黄昏、またの呼び名は逢魔ヶ時(おうまがとき)である。

私の愛犬は知らん顔をして、道端の草を食べている。
「いつもこちらをお散歩ですか?」と目を光らせて興味深げな女性。
長い道を歩いてきて、ようやく人に出会ったという感じだ。
「いや、うちの犬が、たまたまこっちに来たものだから」と私。

「えっ」と女性はびっくりした様子。
ちょっと大仰な身振りであった。
「それじゃあなたは、ワンちゃんについて来たの?」と女性。
「そうですよ、犬の散歩なんだから」と私。
「だって、それじゃ主従関係が逆じゃないの」

「へっ、主従関係って!?」と私。
「人間がワンちゃんをリードしなきゃ、わがままな犬になってしまうでしょう」と女性。
「もう、十分わがままなんですよ」
私の愛犬は、草喰いに夢中で、ムシャムシャと音をたてている。
女性の愛犬は、おすわりして、草喰い犬をじっと見ている。

「それじゃ、主人の命令をきかない犬になってしまいますわ」と女性。
「だって犬なんだから、人のことばなんかわかるはずもありますめい」
「主人」とか「命令」とか言うのを聞いて、急に私は下僕ことばになってしまった。
やはり、私は魔法をかけられた放浪鴨なのかもしれない。

「まあ・・・とんでもないこと」と洋館の奥様はおどろいた様子。
「さあ、エリザベス帰りますわよ」とおすわりをしている犬に語りかけた。

それから女性は、じっと待っているエリザベスに、高らかに号令をかけた。
「エリザベス、レッツゴーホーム」
おすわりをしていた犬が、まるで魔法をかけられたみたいに、ピョコンと立ち上がって、回れ右をし、主人のあとをスタスタと歩きはじめた。
ロングドレスのシルエットが、みるみる暗がりのなかへ消えていく。
 
私の愛犬は、口の端から草の細長い切れ端を垂らしてそれを見送った。
愛犬のヨダレが、垂れた草の葉に粘りついている。
私は、草の葉を犬の口から取り出して、タオルで口のまわりのヨダレをぬぐった。
「散歩のときは、犬がご主人様さ」
愛犬が、うれしそうに尾を振る。

街は暮れて、空には星がまたたいて。

川の方からは、まだねぐらが見つからないのか、ガーガーと鳴く鴨の声が聞こえた。
またそれが私には、妙になつかしかった。

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